アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
——岡田 ここで一旦、時間軸を過去へ大きく戻します。大谷さんが社会人になるまで、どのような青年時代を送り、どのようなことに影響を受けたのか、日建設計に入社するまでの前史を話していただきます。
私の人生を変えるきっかけとなった2冊の本をご紹介します。ひとつは、新建築臨時増刊『和風住宅の手法』(新建築社、1978年)です。これに出合った時、私は高校1年生でした。本屋でたまたまこの本を見つけて手に取り、立ち読みし、小遣い1カ月分より高かったですが買わざるを得ないと感じました。もう1冊は、ディテール別冊『吉村順三のディテール――住宅を矩計で考える』(彰国社、1979年)です。この2冊に衝撃を受けて以来、ずっと読み返しました。もちろん、当時は高校生です。はじめは図面と解説文、写真を照らし合わせても、それらが一致しませんでした。矩計図、建具詳細図なども当然、どこの図面なのかすら理解できなかったのです。ディティール別冊の解説は建築家の宮脇檀が執筆しており、吉村順三の素晴らしさを丁寧に書いていました。それを読むうちに徐々に写真と図面が一致するようになりました。吉村順三と吉田五十八という、和風建築の大家の良質な作品が数多く掲載されています。中でも私は吉田五十八に強く惹かれました。「啓示を受けた」と言っても過言ではありません。吉村順三、吉田五十八の両者は東京藝術大学の出身でしたので、私はこの2冊のおかげで同じ大学を目指さなくてはならないという非常に困難な道を進むことになったのです。本に書かれている内容が理解できるようになるとさらに面白くなり、しまいには読むだけでは飽き足らず、ついに自分でも設計をしてみたくなりました。遊びの延長で、自分で数寄屋を設計し始めていました。敷地は架空で設定し、プランを考えました。アプローチをクランクさせた門から玄関に進む動線、台所や門の詳細など、時間を忘れるほど集中してスケッチしました。屋根の段葺きや舞良戸(まいらど)の表現は、吉田五十八を見よう見まねで自分で手を動かして一通り考えられるようになりました。内部は回遊性のある計画とし、居間の掘りごたつにいる人と居間から2段下りた台所にいる人の目線が水平になるようにしたり。その空間での暮らしを想像しながら考えました。ある時は吉村順三風の小さな家を考えてみようと思い、囲炉裏風の暖炉や、南東面の光を受けるカウンターのキッチンなどを考えています。とても楽しい時間だったことを今でも覚えています。
新建築1978年臨時増刊『和風住宅の手法』(新建築社、1978年)
『吉村順三のディテール――住宅を矩計で考える』
(著:吉村順三、宮脇檀、彰国社、1979年)
東京藝術大学へ無事に入学し、建築科の最初の課題として、木製の椅子を半年かけてつくります。これは現在でも連綿と受け継がれている伝統的な課題ですね。椅子は小さい建築物です。平面・断面・立面を1枚のシートにまとめた原寸大の図面を描き、治具を使い部材を切り出しました。当時制作した椅子は40数年経ちますが、今でも自宅で使っています。大学2年生の時にはアルヴァ・アアルトに触発されて資料を読み漁っていたので、当時の住宅設計課題には、アアルトの影響が色濃く反映されています。高校生の時から住宅の図面を繰り返し描いてきた杵柄があったので、大学で出される設計課題もかなり得意でした。
吉田五十八や吉村順三という和風建築の大家に啓示を受け、少しでも近づきたいと同じ大学へ進み、住まいの暮らし方というような感性的な授業をする先生たちに刺激を受けました。この藝大路線とでもいいますか、理系ではない独特な着想から建築を構想し、建築論を展開されていたのが実は林昌二(当時:日建設計副社長)さんでした。数寄屋住宅と近代のオフィスという違いはありますが、吉村順三や吉田五十八も、そして林さんも建築を通して、人びとの暮らしをいかによりよくするのかを深く考えています。そして後から気付いたのですが、林さんは清家清の門下生で、清家清は東京藝術大学を卒業しています。つまり私のルーツとも繋がりがあったのです。繋がりが次の繋がりを生むような不思議な縁があり、私は1986年に日建設計へ入社することになりました。
大谷氏が高校時代に描いた住宅の平面
大谷氏が高校時代に描いた住宅の詳細
大谷氏が大学時代に課題で提出した住宅プラン。
当時影響を受けていたアアルトの作風が見られる
大谷氏が高校時代に吉田五十八、吉村順三から影響を受けて描いたドローイング
大谷氏が大学時代に課題で提出した椅子のドローイング
課題で提出した椅子。現在も自宅で使用しているという
ここからまた時間軸をぐっと現代へ戻します。設計担当として携われて特によかったと思うプロジェクトを紹介します。まずは兵庫県神戸市の「灘中学校・高等学校 耐震改修および増改築」(2013年)です。新築と改築した部分が一見しただけでは見分けのつかないような建築を提案しました。既存の柱・梁の外側に格子状のアウトフレームを付け加え、奥行が生まれたスペースに緑化ボックスを設置しています。増改築前の校舎はいわゆる歴史のある男子校然としていましたが、成長の早い強い植物を植えたので、今では建築を覆うように生い茂るくらいランドスケープが活躍しています。豊かな環境で学んだ学生たちが成長し、これからの世代を築いていく時、少しでも学生時代の原体験を糧としてもらえれば、大きな社会貢献に繋がるのではないかと期待しています。
「灘中学校・高等学校 耐震改修および増改築」の外観
立体的な植栽計画により緑豊かなキャンパスとなっている
次は、京都の東山を望む鴨川沿いの素晴らしい場所に建っている「ザ・リッツ・カールトン京都」(2013年)です。四季がはっきりしていてとても情感豊かな理想的な環境にあります。ただなんとも心を痛めたのは、ここにはもともと吉村順三が設計した名作ホテル「ホテルフジタ京都」(1969年)があり、それを取り壊して建て直す必要があったということです。この状況を前に、私はなんとしても人様にうしろ指をさされない笑われない建築にするしかないと強く心に誓いました。新しいホテルは軒がとても深く、開口部のガラスが大きいのが外観の特徴です。京都の歴史的な建物は、東山へ向く面をできるだけ多く設けるように計画されています。たとえば京都御所も南北に長い長方形の敷地で、南側の入口から北東側(奥)へ進むにつれて小規模な空間を雁行させて繋ぐ構成です。この街の歴史的な構成に習い「ザ・リッツ・カールトン京都」の平面も南側にエントランスを設け、北東側に雁行する平面を設けた120メートルのファサードを計画しました。屋根の設計にも細心の注意を払いました。屋根には機械設備など設置せず、屋根伏せのシャープな姿形としました。数寄屋の重要な要素である屋根を現代にも継承できたことは、私の中で小さな誇りでもあります。
高さ制限の都合上、地上部分は客室とラウンジのみで、それ以外の機能はすべて地下に設ける必要がありました。そこでラウンジに隣接して、地下に向かって伸びていく吹き抜けを設けました。階段を降りていった地下2階には井戸のような光庭で、全地下にもかかわらず目が地下の光だまりへ向く空間としました。鴨川に面した東側には、スケールを小さくした欄干を客室の開口部に設け、遠方に望む東山などの景色と調和するように配慮しました。
「ザ・リッツ・カールトン京都」全景。手前は鴨川
「ザ・リッツ・カールトン京都」南側外観と正面に車寄せ。
地上4階に134室の客室、地下3階にホテルの共用部を配置
地下1階平面
断面
「ザ・リッツ・カールトン京都」。地下1階から地下3階までを繋ぐ吹き抜け
客室バルコニー
客室から鴨川を見る
続いて日本生命の一連の仕事を紹介します。大阪市淀屋橋には日本生命の本店群があります。長谷部竹腰事務所時代にできた「日本生命本店本館」(第1期:1938年、第2期:1962年)は、北側半分が戦前に、南側半分が戦後に完成しており、実は2棟を継いでいるのですが、外観からはまったく境目が分かりません。長谷部竹腰建築事務所のこの名作の背後(東側)にある東館(2015年)と、道を挟んで南側に建っていた南館の外装改修(2015年)の設計を担当しました。南館の改修ではタイルの外装を一度はがし、新たに石を貼り直しました。設計にあたっては、石の積み方やコーニスなど、本館のプロポーションを参照しています。東館は新築ですが、やはり本館の石積みや窓の開け方などのプロポーション、窓の額縁やグリルのデザインなどを踏襲して、できる限り自分のデザインを施さないように細心の注意を配りながら設計しています。唯一、新しい要素として力を入れて設計したのは東側の通り抜けできるプロムナードの空間です。隣接して愛珠幼稚園という明治時代(1901年)に建てられた名作の幼稚園があり、その建築と調和するような美しい風景をつくろうと計画しました。
「日本生命本店ビル群」。道を挟んで南館(改修)、および本館の奥に東館を新築した
東側のプロムナード
東京・銀座五丁目には「i liv」(2019年)というビルがあります。地価が非常に高いために、間口が8メートルと細長い敷地になっており、そこに高さ66メートルのビルを建てるという構造的に難易度の高い建築でした。テナントビルのため、私たちが設計できる範囲は表層80センチメートルほどの、バルコニー部分から外側です。近くには「東京鳩居堂銀座本店」や林昌二設計の「三愛ドリームセンター」がある銀座の中心地です。「i liv」を設計する時、オーナーには「寡黙でありつつも存在感のあるデザイン」を提案しました。銀座は、どこも博覧会のように見事なファサード建築が建ち並んでいます。だからこそ、一見静かだけれども存在感のあるデザインとしたのです。ファサードのうねりを表現したガラスのルーバーに光があたり、抽象画のような波紋を描きます。1日の中でも太陽の動きに応じて波紋が移ろい表情が変化します。派手さはありませんが、この表情を生み出すためにとても大きな労力をかけています。
「i liv」外観。うねりを表現したファサード
外観見上げ
——岡田 吉田五十八から「i liv」まで、一気に時代を駆け抜けました。大谷さんにとってデザインのルーツとなっている吉田五十八の影響は、「i liv」にも反映されているのでしょうか。
色々なことを仕掛けていく、ものづくりとしての生き方には影響があると言えるでしょう。でも、大事なことは「私」や「日建設計」の前に、必ずクライアントがいるということですね。クライアントがいてはじめて建てることができる。私たちはそのお手伝いをしているのであり、彼らのために設計しています。自らの作品性を強く打ち出して語れる建築家やそれを求めるクライアントもいらっしゃいますが、日建設計に依頼してくださるクライアントはそうした方だけではありません。
——岡田 日建設計の建築を建てることに対する姿勢を表したのが「用・プロジェクト・貢献」のサイクルだということですね。
そうですね。そこに行き着くと思います。