アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
ただいま、ご紹介いただきました伊東でございます。本日の私のテーマは「建築の仮設性」ということですが、今日の都市での建築は、自ら仮設的になることによって建築家の意図以上に建築をどんどん勝手に解体させてしまっているんではないかという気がしております。その辺を、私の自邸であります「シルバーハット」以後の作品を見ていただきながら、お話しをさせていただくつもりです。
まず一枚のスライドを見てください。六本木につくりました「N0MAD」というレストランです。昭和六十一年九月にオープンいたしまして、翌六十二年六月に店を閉めてしまったという建築です。この建築があってきょうのテーマを決めたようなところがあります。先日もあるシンポジウムがありまして、終わったあとの質間で「N0MADはなぜ店仕舞いしたのか」と聞かれました。要するにこの方も含めて皆さん、このレストランは客が入らなくなってつぶれたんじゃないのかと思っていらっしやるんだと思います。まあ、そういうこともあるかも知れませんが、そんなレベルの話ではないのではないかと私は考えているわけです。
建物は、私がいつもよく使うアルミパンチングメタルをファサードに使い、まるでついたてのように一枚立っています。その後ろにはサーカス小屋のような小屋があるだけです。内部は布とエキスパンドメタルで覆われております。まさしくサーカス小屋のような状況を呈しているわけです。空調機などもエキスパンドメタルなどで包まれています。入口脇のカウンターの足元やついたてにはパンチングメタルが使われています。二階ギャラリーを囲む手摺も布製です。天井から吊っているのはエキスパンドメタルの板で私たちが自分たちで吊りました。下から見上げると雲のようにも見えるというわけです。この店が六月に閉じられた直後の七月七日に七夕の能が行われました。その模様を撮影したビデオをきょうは最初にお見せしようと考えたんですが、ビデオを紛失してしまいました。音をお聞かせできないのが非常に残念です。
能というのは通常は国立能楽堂とか、あるいは薪能といっても非常にきれいな場所で行われることがほとんどですよね。このような六本木にある風俗的な空間でお能が行われるということ自体、非常に珍しいことなんです。こういう場所で行われたために、いろいろおもしろいことがあったわけです。観客も、普段国立能楽堂や各地の能楽堂に行く人たちとはまったく違う人ばかりだったんです。ほとんどが『ぴあ』を見てやってきた若い人たちで、能を見るのは初めての人たちばかりだったんです。
僕なんかでも、たまに見に行くと途中で退屈して眠ってしまうんですが、非常にホットな熱気にあふれていました。演じている人もそれを感じ、観客のほうも、能がこんなに身近に感じられるものだとは知らなかった、といった感想がたくさん寄せられました。この日は「天鼓」という演目で演じられました。シテは観世の若手のホープの浅見真州さんという方です。
伝統的な能を演じているのですが、こういう空間で演じられることによって、能自体も別な展開があらわれたわけです。なぜ、初めにこんな話をしたかといいますと、住宅でも、あるいは街の中でもそうなんですが、さまざまなパフォーマンスが行われていて、そのパフォーマンスをもとにして空間の再構成がされていくんじゃないかということを強く感じているからなんですね。そのことと、建築の仮設化の進行という現象とが、かなりオーバーラップしているようにも感じているわけです。
N0MADというのは、遊牧民ということですが、都市をさまよっている若者たちの集まる場というような意味です。これはいまからちょうど二年少し前に設計を開始しました。その当時は小さなホテルをつくるということで計画がスタートしました。ところが、途中で予定していた隣接地が買えなくなりまして、必要なボリュームのものが建てられないことになり、いまのようなカフェバーに計画が変更になりました。わずか二週間で確認申請を出して、四ケ月くらいで建物が完成し、九月にオープンして翌年六月にクローズとなるわけですが、この二年間に計画も変更し、建物もでき、さらに一巻の終わりという、大変あわただしい建物の一生でありました。これはまさしく、芝居小屋のように小屋掛けされ、クローズされてしまったわけです。この敷地周辺はおそらく坪当たり六ゝ七○○○万円といわれるようなところです。そして敷地が約一○○坪ほどありますから、この土地の値段に比較すると、建築工事費はわずか二坪分くらいになります。そうなりますと、その建物が新しいものであろうが古いものであろうが、土地の売買ということを基準にして考えると、建築というのは何の意味もなくなってしまうわけです。