アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
江戸の人たちに負けず劣らず、いまの東京の人たち、特に若い人たちというのも、毎日なにかおもしろいことはないかと、街の中をさまよい歩いている。たとえば原宿の竹下通りを雑誌『ぴあ』を見ながら若者がそぞろ歩いている。いまや、東京中がさきほどの江戸の吉原と芝居小屋を合わせたような空間化しているといってもいいわけです。ぴあマップを片手に、どこへ行けばおもしろいパフォーマンスが行われているかを探し求めてさまよっている。これは食べるということも含めてそうなっている。こうした遊ぴの軌跡を連ねたような空間が、シングルの人たちにとっての家になるんじやないだろうかと思って、それを絵にしてみました。さきほどのN0MADに因んで、遊牧民である独り者の少女の家というのは、一体どのようなものだろうかと考えて、描いてみたものです。これは、いってみれば包のようなものになるだろう。モンゴルの包はよく知られていますが、では、東京の遊牧民にとっての包とはどんなものだろうかと考えてみたわけですね。これは同時にまた、私たちにとって家とはということのモデルをつくることにもなるわけです。
まず、第一にそれはおしゃれなものでなくてはならないんじやないか。ここで独り者の女の子を選んだ理由は、女の子が東京の街では一番ラディカルであり、最も多くの情報を持っていて、自由に生活を謳歌していると思われるからです。その包の中には、いくつかの家具が必要になるでしょう。この少女はまず街をさまようための情報を収集しなくてはならない。『ぴあ』をストックし、『アンアン』をストックしなくてはならない。その情報ストックのための家具が必要だろう。次には、彼女にとって街に出ていくことは劇場に出ていくのと同じなんですから、おしゃれをしなくてはならない。家というのは、いってみれば楽屋裏のようなものであって、街へ出て行くことはステージに上るのと同じ意味を持つわけですから、おしゃれをすることが大変重要なファンクションになってくる。そしてさまざまな雑誌によって、食べるとか見るとかいうステージに上っていくわけです。
ここでちょっとビデオを見ていただこうと思います。ひとり歩きをしている少女たちが歩きまわる、あるいは、求めるパフォーマンスの空間の一例として映します。
二年程前になりますが、フィッツェ・ウオモという男性ものブランドのファッションショーが私の自邸で行われたときのビデオなんです。
このとき、私は場所を提供しただけだったんですが、仕事を終えて家に帰ってみますと、ごらんのような舞台ができていまして、上には櫓が組まれて、そこからライトが煌々と当たっておりまして、一体私はどこに帰ってきたのかと自分の眼を疑うくらい、違って見えたわけです。数百人の人が集まってそのショーを見たり、演じたりしていました。このわが家も、ファッションショーが終わった後は、人っ子ひとりいなくなりまして、いまそこで演じられていたパフォーマンスがまるで夢を見ていたとしか思えないという感じで、いつもの自分の家に戻っていたわけです。さきほどの街を歩きまわった少女たちも、このファッションショーを見て、そのモデルにほとんど自らの感情移入をしてウットリとして、翌日はそのブランドのものを買いに行くということになる。家に帰ってみると、寒々とした小さな部屋が待ち構えていて、そこでひとり淋しくコーヒーを飲むにちがいないというお話です。
僕自身も、そのショーが行われている間はそこに引き込まれて、大変ウットリとして魅せられてしまっていたわけですね。ここは一体どこなんだと思うぐらいに引き込まれていた。そのように非常に演劇的というか、フィクショナルな空間が東京のあちこちに花火のように、ポッポッと毎日咲き誇って、その中を皆んなが渡り歩いている。だから、どこまでが現実で、どこからがフィクションなのかということがほとんどわからなくなってきている都市空間が現代の東京という気がするわけです。