アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次は、これもまた目下ペンディングになっているプロジェクトですが、沖縄の那覇郊外の住宅計画です。シルバーハットを見て、こんな家を沖縄につくるとおもしろいじゃないかといってくれた方がいまして、那覇郊外の斜面に一○○戸ばかりあのような家を並べるという計画なんです。開発許可の問題で目下中断しております。うまくいくかどうかわかりませんが、できればおもしろいと思います。
しばらく前になりますが、沖縄で建築家と話し合ったことがあります。そのときに聞いたことなんですが、沖縄は大変湿気の多いところで、錆の出やすいところであるから、鉄なんかたとえコンクリートの中にあっても駄目なんだ、というお話でした。しかし、今回のプロジェクトのクライアントは、そうした建築家とちがって、沖縄ではかえってそういう鉄のような材料のほうがいいんだ。船のようにペンキを何度も塗り変えればいいじゃないかといって勇気づけてくださいました。
目下、奈良で開かれるシルクロード博のために、まさしく包と呼ぶにふさわしい施設をつくっております。シルクロード博は菊竹清訓さんがメインのプロデューサーでやっておられる計画で、そのお手伝いということで一部担当させていただいております。私のやっておりますのはレストランとゲートです。
そのレストランをまさしく包のような形でまとめてあるわけです。中央部分に、龍が走っているようなつながりのスペースを独立して配置しております。
次に奈良の包をさらにもうひとまわり大きくしたプロジェクトを計画中です。青森県の大鰐町という温泉の出る小さな町でスポーツセンターをつくろうという計画がありました。そこで、温泉を使って融雪をし、さらに温水プールをつくって、いま流行のクアハウスをつくろうという計画でした。ところが、これも計画だけで、つぶれてしまいました。どうもきょうはつぶれた計画が多くてすみません(笑)。この計画がつぶれた原因は、私のほうが悪いんではありません。これを推進していたワンマン町長が突然落選してしまったんですね。私には対立候補なんてありませんといっていたのに、まったくある日突然に崖の下に突き落とされてしまいました。
直径五○メートルぐらいのドームを、青森のヒバを使って組もうと考えておりました。早稲田大学の松井源吾先生に構造をお願いしたわけですが、そのドームの上をテントで覆って、雪を温水で融雪しようという、大胆な計画でした。これと同じようなストラクチュアはやはり、奈良のシルクロード博の会場で、菊竹グループの一員である土井鷹雄さんの設計で工事中です。
私の計画したものは、ドームの内部に亜熱帯の植物がたくさん植えられ、その中を温水プールが流れていくというものだったんです。雪の深い地域でテント建築をなぜつくるのかという批判もでるでしょうが、逆に雪のあるような地域だからこそ、温室のようなスペースがさらに大きな効果を発揮すると思ったんです。イギリスなどヨーロッパの北部でも、常に南方の楽園願望の思想は脈々と生き続けてきたことからもそれは明らかですし、温水プールといっても、これはいわば屋外空間みたいなものですから……
ところが、世の中には奇特な方がいらっしゃるもので、青森でつぶれたこの計画を秋田市でやろうということになりまして、青森の計画と同じような形で、今度はプールというよりクアハウスを中心とする施設として陽の目を浴びることになりました。これから設計に入ることになっております。
次は、ごく最近に雑誌に発表した作品で、神田の藪そばの前に建てた小さなオフィスビルで、「神田Mビル」というものです。容積いっぱいにギリギリに建てるとどう考えてもこういう形になってくるという、典型的な建物です。まあ、皆さんおそらく同じ苦労をしておられると思いますが、この建物は工事が始まってすぐに、建設業者が突然つぶれてしまうというハプニングのために、数か月工事がストップするということが重なり、大変に苦労した建物なんです。最初は、下から上まで全部コンクリートで、ちょうど籠をぷせたみたいに同じフレームで覆われることになっていたんですが、その工事がストップした数か月の間に鉄骨に変えてしまいました。最上階にクライアントのオフィスがあります。
この場合には、五層ばかり重なった建物ですから、これをすべて覆うという発想でつくることはむずかしいのですが、少なくともクライアントの使うペントハウス部分だけでも、さきほどまでの身体をやわらかく履うというコンセプトを用いてつくってみたいと思いました。建物は、コンクリートのフレームの間にアルミパネルとガラスの部分、そしてエキスパンドメタルのパネルの三種類を組み合わせながら壁をつくっています。ペントハウス部分のオフィスで、布を使ってパーティションをつくってみました。
私は建物の夕方の表情が好きです。逆にいえば、タ景が美しくできれば、それはいい建物であると勝手に自分で決めてしまうようなところがあります。
ここに紹介しますのが、これもまたつぶれたプロジェクトで恐縮なんですが、ごく最近東京で計画していた建物で、大変残念だったんですが、土地の間題でつぶれてしまいました。土地間題といっても、この場合はN0MADとは逆に、土地がさらに裏に広大に買えたということで、それを含めた大きな計画にやり変えることになったものです。三○階建てぐらいの超高層になるようです。これだけの大きいプロジェクトになりますと、もう僕の出番じゃなくなってしまうんですね。本丸はきっとどこかへ行くと思います(笑)。
このプロジェクトは、あるサッシュメーカーのショールームです。中に小さなミュージアムとかレクチャーホールとかを持ったもので、なかなかおもしろい内容の延べ三○○○坪ぐらいの施設でした。このプロジェクトで考えていたコンセプトは、厚い壁に厚い屋根ということでした。それらを幾層かに分割しようと考えていました。たとえば、いちばん上のルーバー状のパネルで日照調整をやり、機械類もその下にぶら下げてしまう。その下にテントで屋根をつくり、小さく分割したガラス面で天井を吊ろうと考えていたんですが、屋根は半透明である。そして、壁も幾層かのスクリーンに置き換えてしまって、それでサンコントロールをする。薄膜を二〜三層重なり合わせて建物をつくるという考えだったわけです。
この計画では、途中でいろいろ別な案も考えておりまして、その中のひとつには、たとえば工事中に使うクレーンがそのまま残っている、イギリスのロイズ保険ビルのようなものもイメージされました。その残されたクレーンは、本当にそのままクレーンとしてメンテナンスなどに使われたり、内部のショールームの展示物の交換などに役立てはおもしろいだろうなと考えていました。
最後のプロジェクトですが、横浜駅西口にある「横浜風の塔」です。これは、被膜であることを一番端的に表現したプロジェクトであるといえます。既存のコンクリートの二○メートルほどの高さのタワーがありまして、それが非常にきたならしく汚れた状態で駅の西口ロータリーの真ん中にあったんです。これをどういう風にか被覆しようというコンペティションが行われました。そこで私の案が採用されたのです。つまり、汚れたタワーの表面に全部鏡を張りました。そしてその周辺に楕円形にアルミパンチングメタルのパネルを建てめぐらせています。
太陽の光で昼間はアルミパネルが光を反射して薄い円筒形の単純な形態になって見え、逆行の側ではパネル越しに構造体のフレームがわずかに見えるという状態です。ところが夕方になると刻々とその表情を変えていきます。夜間はタワーの足元の投光機、タワー内都の一二八○個のミニ竜球、そして一二本のリング状のネオン管などが、パソコンでコントロールされて、さまざまな光の表情を見せてくれるようになっています。
たとえば、塔の足元の投光機だけが点灯した状態とか、それも塔の外側からの光だけとか、さまざまに組み合わされるわけです。また頂部には風のセンサーがついていて、風向きや風速をキャッチして、風に合わせて点滅するために、見ていると、まるで風に合わせイ塔が動いているように感じられるわけです。ネオン管は常時は一本だけついていて、一時間ごとに上へ上がっていくんです。ゆるやかな意味での時刻表示になっているわけです。小さなミニ電球はまわりのノイズ(騷音)に合わせて点滅するようになっております。こういったものがいつもいくつか組み合わさって、リアルタイムで動いているわけです。これは、ちょうど万華鏡の理屈と同じで、内部のランプが向こうの鏡に反射し、あるいはパンチングメタルの裏面への反射などを繰返して、理屈としては無限に光が見える。それをパンチングの穴を通して外から見ようという原理で考えたものです。だいたい最初に想定していた通り、うまくいっております。ですから、本当はこの内部に大変どっしりとしたタワーが入っているんですが、鏡に当たって反射しているために、このリングがまるで透明なように見えるわけです。
常々、私が心掛けておりますことは、何か新しいことをやろうというよりは、とにかくその街が持っている雰囲気のようなものを、ほんの少しだけスライドさせて、フィルダーを通して別のものへと移しかえていく。ですから、酒で少し酔っ払った状態で街を歩いたときのような状態をもう一度再現していくというようなことをやろうと考えているわけです。ギラギラしたネオンも、ある眼を通して見ると、大変きれいな被膜に見えてくるわけです。ちょっとお酒に酔ったというか、夢と現実の間をいったりきたりする建築というのが、私のねらっている建築です。ビデオの変換装置を通して写真を見たような状態ともいえます。
以上で私の話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)