アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
いま、東京湾岸で仮設の能舞台を計画しております。さきほど紹介しましたN0MADの屋根を取り払ったようなものを考えています。これは、足場とサポートを組み合わせただけのようなもので、建築じやないといえばそうなんですが、上にはメタルか布かがヒラヒラしているだけというイメージです。収容能力は三〜四○○○人で考えています。この能舞台のモデルにしたのが、江戸時代に湯島界隈で行われたという勧進能なんです。その記録を参考にして、スケールを一応同じにとって舞台や橋懸かりや楽屋を配置しています。この勧進能はかなりくわしい絵巻物として記録が残っていましたので、それをもとに復元して模型をつくってみました。その模型をもとにして私たちの今回の計画の模型をつくったというわけです。勧進能の舞台は記録によると、約三ケ月間だけつくられて存在して壊されてしまう。そして、その間の一五日間、能が朝から晩まで演じられ、一回に三〜四○○○人の観客が入ったと書かれています。
さきほどもいいましたように、そのころ芝居を見に行くということは、いまのプロ野球の日本シリーズを見に行くようなもので、徹夜で並んででかけるという感じなんですね。絵巻物には、そうした時間の流れが描かれています。朝日が昇るころ、まだ会場の外にある夜明かし茶屋と呼ばれるようなところでお茶を飲んで待っているという場面から始まっています。朝になると小屋の入口のところで櫓太鼓がたたかれる。そしてチケットを買って一般の市民は入場するわけです。詳細に見ていくと大変興味深い場面がいろいろ出てまいります。切符をもぎるブースがあったり、大工やとびの人たちの詰所があったり、鮨や弁当屋さんが並んでいたり、飲み物を売っていたりする。舞台と観客席を見ますと、枡席というか、畳敷きの客席があり、その上には油障子を貼った屋根がかかっている。周囲を二階になった侍席が囲んでいるという構成になっていまた。
能というのは、いまでこそ非常に形式のある、抽象的な十云能になっていますが、その当時はもっと自由で、観客席も四方を取り巻いてあってもよかった。また、鑑賞するのも、いまはシーンと見るんですが、かつては、まるで相撲を見るように、お酒を飲んだり、弁当を食べて野次をとばしながら見ていたらしい。といったことも、この絵巻物からわかるわけです。この時代のほうが能はいまよりも生き生きしていたんじやないだろうかと思います。野次られても朝から晩まで演じられ続けた能、そして三〜四○○○人もの観客が集まるということがそれを示していると思います。
だから、街の中へ能が出ていく、というか、非常に形式化してしまった能楽というものが、もう一度エネルギーを取り戻すことにならないだろうかという期待があるわけです。それと同じことは、建築でもいえるのではないだろうか。商業空間を否定する建築家もたくさんいるんですが、消費の最前線である商業空間に対して建築がどうかかわるかという ことも含まないと、いまやもうおもしろい建築は出て来ないのではないだろうか。こういったことを私はいつも感じ、考えているわけです。
江戸の人たちは、能に限らず大変よく外へ出かけていたのではないかと思います。たとえば花火にしてもそうですね。そのころは水とか川も水が澄んでいて大変美しかっただろうということは、陣内秀信さんも書いておられますが、非常に明けっ広げのスペースで楽しんでいたようです。もうひとつの待徴は、これは日本の建築の特徴でもあるんですが、たとえば桜の花が咲けば、そこに緋毛せんを敷くだけでひとつの場ができるということです。つまり、パフオーマンスが中心にあって空間ができていくということで、これはヨーロッパの都市空間なんかと決定的に異なるところだろうと思います。幕を廻らせるだけで、大変華やかでリッチな宴会場がそこに生まれる。これはパフォーマンスが中心にあるわけですから、劇場なんですね。それに対してヨーロッパの場合は、空間がまずあって、その中にモノを置いていく。住宅で比べてみると、その違いは一目瞭然なわけです。スペースの中に必要なモノがたくさん置かれていて、まるで博物館で見るようにして暮らすのがヨーロッパの住宅のスタイルです。それに対して日本の空間というのは、モノがなくて、そこにおいてある行為が行われるときにあるモノが持ち込まれて、そこで特別な空間がつくられる。ヨーロッパの博物館に対して劇場のような空間なんです。このように、江戸の市民は街の中に出て、浮かれて毎日を暮らしていたのではないでしょうか。そんな風に感じられます。