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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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伊東 豊雄-建築の仮設性
日本人は刹那的に街に出て楽しむ
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東西アスファルト事業協同組合講演会

建築の仮設性

伊東 豊雄TOYO ITO


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日本人は刹那的に街に出て楽しむ

ところが、そうしたことの感慨にふける間もなく、最近ではたとえば「三年間だけもつ建築をつくってください」といったような依頼があるようになりました。建築関係の友人に聞いてみると、結構そういう依頼が他にもあるようなんです。これはやはり土地間題がそこにからんでいるわけで、大規模な再開発をするためにその周辺の土地をあたりかまわず買っていく。そしてまとまった土地にするために一○年くらいかけるわけですね。その間、早い時期に買った土地を遊ばせておくのはもったいないから、ということでカフェバーでも営業するかという話になるわけです。そういう仮設の建築の依頼が私などのところに来る。再開発計画といった本丸の仕事は決して来ないんですね(笑)。

このような仮設的な建築がふえてくるということは、果たして土地の間題だけから発生しているのだろうかと考えると、もう少し違った意味があるんじゃないだろうか。つまり、東京という街の発展の仕方とからんでいるのではないだろうか、という気がするわけです。そう思って見渡してみると、いま全国で博覧会建築といわれるようなものの花盛りです。少し前になりますが、新宿のテントで「キャッツ」というミュージカルが大ヒットしましたが、これもおそらくテント劇場であったことが影響しているにちがいないと考えられるわけです。また、東京湾岸の取り壊される予定の倉庫がディスコになったりギャラリーになったりしている。それから、後楽園エアードームに見られるように、テント建築が恒久的な施設として使われ始めてもいるわけです。これは約二○年の耐久力があるそうです。このように、世の中のさまざまな部分でさまざまな形で建築の仮設化が進行しているといえるようです。

住宅事情と都市空間の間には密接な関係がある。つまり、住宅事情が大変悪いので皆んなは夜遅くまで街で遊ぶ。喫茶店あり、デパートあり、飲み屋あり、ファミリーレストランありといった風に。実際に週末の終電近くの電車に乗り合わせますと、朝のラッシュより混んでいることがあります。また、日曜日にちょっと郊外の、たとえば町田市といったようなところへ行ってみると、その駅前などは自家用車で身動きがとれないような混雑ぷりです。こうした事情を他の国、たとえばロンドンなどと比べてみると、非常に対照的で、ロンドンでは土曜日の午前中くらいでお店は全部閉まってしまい、皆んな郊外の田園に囲まれた家で過ごすということになります。そして家の壁のペンキの塗り替えなどをしながら週末を過ごすのがイギリス人にとっての理想的なライフスタイルであるといわれております。そうすると、さきほどの日本の街の事情、街へ出て遊ぶから住宅がちっともよくならないということもいえるかもしれない。どちらが卵でどちらが鶏なのかわからないという状況といえます。いずれにしてもウサギ小屋といわれるように悪い住宅事情がすべての原因だとは、単純にいえない部分があると思います。

日本人というのは、江戸時代のころからすでにかなりエピキュリアンというか、刹那的に街に出て遊ぶことによってストレスを解放していたという気がします。特に元禄時代の芝居小屋は大変な勢いであったといわれています。現在の日本橋と京橋の中間に中橋というのが架かっていて、その周辺に芝居小屋が並んでいた。これらはまさしく仮設的にできた小屋であったわけです。それがあまりにお城に近すぎるということで、吉原のほうへ移されていき、そして、芝居を見に行くということは、一日の仕事が終わってから行くのではなくて、朝、築地から船に乗って一日がかりで行くのが庶民の最高の楽しみであったといわれています。吉原ですから、近くには食べるところもあり、風呂に入ることもでき、風俗産業的な面まで含めて、非日常的空間ができ上がっていたといえるわけです。いわば、ステージに上るような、非常にフィクショナルな体験がそこで繰り広げられた。まあ、そうしたことの媒介を水というか水辺空間が大きな役割を果たしていた。そのようにして江戸という街を見ていると、そのころと同じようなことが、いまの東京で起こりつつあるんじやないかと思います。その同じようなことが起こる原因のひとつは、東京という街のさまざまな空間の変化の早さということにあるわけです。そして、もうひとつの原因は、東京に住んでいる人の三分の一は一人世帯である。あるいはディンク(Double Incom No Kit)と呼ばれている、子供のいない共稼ぎカップルで精神的にはシングルの人たちが、比較的お金に余裕もあり、自由な暮らしができるため、いわゆるレベルの高い生活を求める。映画や芝居や音楽会に行き、おいしいものを食べる。そういう人たちを中心にして街が動いていくんだ、というようなことを評論家の川本三郎さんなどが、盛んにいっておられます。

そのように考えてきますと、世の中はますますシングル世帯化していくだろうし、また土地がこれほど高くなってくると、ますます住宅は持てなくなる。そして、情報のメディアがさらに発達することによって、建築とかインテリアがますますファッション化していく。以上のような理由によって、東京の仮設化ということが、否応なく進行しつつあると感じるわけです。これは、ある意味では非常にやりきれない部分もありますが、同時にステージセットのような空間が次から次へと開かれていくというか、インスタレーション・シティといっていいような都市空間が開かれていく。そういう状況の中で、どういうシェルターをかけていくか、東京だけに顕著に見られる仮設化現象の中に、新しい建築を探っていく手掛かりが何かあるように思うわけです。以上が私の前提の話で、これからスライドを見ながら話をしていきたいと思います。

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