アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
とにかく、日本は世界の中で現在いちばん建築が華やかに行われているところです。建築に携わっている人はたいへん忙しい。その忙しさの中で今日ここまで来ていただくこと自体すでに大きな犠牲を払っておられるのではないかと感じたりするわけですが、そう思うぐらいに皆さん忙しい、活況を呈している。ひとことでいえばそういう状況です。しかし、同時にまた、こんなに設計することがむずかしい時代もないんじゃないかと思うわけです。皆さんもそれぞれのところでそんなことを感じられているんじゃないかと思います。それが「モダニズムの終焉」という題でお話ししようと思った理由です。
モダニズムの終焉とはどういうことかといいますと、モダニズムの出発点である近代建築の初めの頃には皆んな希望に輝いていました。それが、いま経済的活況の中で、むしろそう簡単には希望に満ちているという状況とはいえないということが基本にあります。
もう少し具体的に申しますと、私が学生だった頃、たとえば広島が戦後の復興のひとつのシンボルであったときには、近代は、それまでの非常に暗い時代を克服して、そして新しい輝かしい時代に向かっているのだという、はっきりした目標がありました。そして近代建築というものは、それを間違いなく確保するためのひとつの武器であると信じられていたと思います。たとえばコルビュジェは、近代建築の初めの頃に「建築か革命か」という有名な言葉を使いました。つまり「アーキテクチャー・オア・レヴォリューション」ということです。これは建築か革命かという二者択一のいい方でもありますが、建築すなわち革命といういい方でもあるのです。建築をすることによって世の中が変わるという確信です。私たちも学生の頃はそう思いましたし、戦後の日本も皆んなそう思っていました。
そしてそれから数十年経って、今日この繁栄を私たちは手にしています。
これは日本だけのことじゃないんです。ヨーロッパなんかも日本よりは建設の量が少ないといいながらもここもまたたいへんな変わり様です。グラン・プロジェと呼ばれているパリの大建設計画もどんどん実施されていて昔のパリを懐かしむ旅行者は仰天する始末です。私たちから見ると、ちょっと卒業計画の出来損ないみたいな建物がいっぱい建っていますけれども、すごい勢いで街が変わっていることは事実です。アメリカも日本に押されて経済が落ち目だとかなんとかいっていますが、マンハッタンのシルエットもこの十年で全く変わってしまいました。マンハッタンだけではありません。ボストンでもフィラデルフィアに行きましても、街のシルエットはこの十年で本当に変わってしまいました。
私が最初に留学した一九六〇年代の初めは、シカゴやニューヨークのスカイスクレーパーというのは、皆んな先が尖っていました。ですから、マンハッタンの遠景を写真に撮りますと山のように皆んな先が尖っているシルエットでした。それが一九六〇年代中頃からてっぺんの四角い建物ができまして、これはアスファルトルーフィングのおかげかもしれませんけれども、ある一時期街のシルエットが四角くなりました。最近はそれがまた一転してどんどん尖ってきましたけれど…。
日本もそうです。屋根が不思議な形の建物がいっぱいできてきましたね。
最初の頃の尖った建物の後に四角い建物ができ、また尖ったものができるという風に、とにかくまあいろんなことをいわれながらも、世の中はたいへんな建設の量だということだけは確かだと思います。いま申し上げたのは街の中のことですけれども、これは郊外でも同じですし、実はこれは先進国だけじゃなくて、世界中で見受けられることなんです。私は近頃日本と欧米との間ばかり往復しているのは偏りがあるということに気がつきまして、昨年、一昨年とカトリックの奉仕団体に加わってフィリピンの貧しいライ病の村にも行ってみました。発展途上の国々でもたいへんな勢いで街が建設されておりますが、人々の生活環境はむしろ悲惨なものになっていきつつあるのが現状です。
状況は国によってさまざまでも、今日地球上のすべての人が共通に感じている問題は、コルビュジエが「建築か革命か」といったときのように、単純に未来を信じることはできず、むしろ何かこのまま進むと皆んな希望を持てなくなってしまうのではないかという危惧を抱いているということです。
これはおそらく皆さんもそうだと思います。久し振りに広島に来ましたら、たいへんきれいな街になっているのでびっくりいたしました。しかし、大局的に見まして、日本それから世界の都市が、本当に皆んなが落ち着いて暮らしていける環境になっているかと考えますと、それは決してそうはいえない。街を歩く人々の表情にもそれを感じます。街が何か落ち着かないものになってきています。これは、皆さんもそれぞれにお感じになられていることと思います。