アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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新居 千秋 - 建築の境界—文化運動としての建築
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東西アスファルト事業協同組合講演会

建築の境界—文化運動としての建築

新居 千秋CHIAKI ARAI


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はじめに

今から二十数年前にフィラデルフィアのペンシルバニア大学で、世界レベルのスケールからクラフトに至るまでの、デザインのカテゴリーを学びました。また私の師であるルイス・カーンからは、常に“Being AMATEUR is the best way to be Architect.”=自分が何でも知っている、またこの建物の機能はこうだと決めつけず、いつでもアマチュア(物事を初めて経験する人)として、物事の初源を考えるということを学びました。それは結局、自分の哲学や社会の生き方を考えることだ、と理解しています。

ところで、日本人の生活がどんな様子かと考えると、例えば映画などで警官が出てくるワンシーンを取っただけでも、日本人の置かれている状況があまりよくないことがわかります。ロバート・デニーロが警官を演じて、出て行った妻に「バカヤロー」といって、八畳から十畳のキッチンでバドワイザーを開け、飲みながら隣の二十畳以上のリビングルームのほうへ行く。すると暴漢が窓ガラスを破って入ってきてピストルをぶっ放す。一方、武田鉄矢が警官を演じて、二畳か三畳の台所でキリンビールか何かを飲んでいて、奥さんが出て行ってしまったと話をしている。隣の四畳半のマルチパーパスルームへ動くと、やくざが入ってきて壁に押さえ付けられる。どちらも同じ警官で、給料も同じぐらいなのに、まったく違ったスケールの空間で過ごしているのに気付きます。日本人の生活空間はあまりにも寂しいところがあります。

アメリカ中産階級のリビングルームは、大体二十畳から三十畳ありますが、日本はLDKで十三・五畳。これを簡単に考えると、アメリカは金持ちで土地が広いと思いがちです。しかし最近、外国人建築家が日本で多く集合住宅を、日本人の建築家と同じ場所に建てるようになり、そのプランを見ると、同じ全体面積の中で、リビングルームは二十畳あります。 彼らはみんなが集まれる場を二十畳ぐらい確保して、徹底的に個室をいじめるか、廊下をなくすなどして、リビングルームの面積を確保しています。多分、空間をつくるときの発想がどこか違っているのでしょう。このことを注意深く考えれば、私たちの建築の広さや、スタンダードを向上させることができます。ロンドンの公園の面積は一人当たり三十二平方メートル、東京は三・二平方メートルです。十倍面積が違います。だから私は、小さい頃見ていた失われた原っぱや大きな水辺などを公共建築のデザインの中で取り戻せないかと考えています。

情報化や、技術の進歩、それによる社会のスピードの変化に合わせて、建築が軽くなる。新しい技術に合わせて建築も変わるべきだという主張がありますが、逆に技術がツールであるとすれば、それを追従しなくてもいい時代が来ているのではないかと考えています。つまりもともとそこにあった場所や、本来の人間のスピード感や、感性に合わせて、建築をつくれるということです。技術が幼かったときは、その技術に人間が合わせました。技術が進歩すると、人間のいかなる要求にも答えられると考えています。

建築をつくるときに重要なのはプログラムです。産業革命によってつくられてきた生き方や経済や社会が、今だんだん行き詰まってきています。それはプログラム自体が、その時代を代表する生産様式にのっとっており、その様式がつくられたときの前の時代の概念に対して考えられた新しいプログラムにのっとっているからで、その生産様式や時代感が変われば変わるということです。

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