アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
ジェリービルダーということばが、一九世紀から二十世紀の初頭の英国で使われました。それは産業革命によって、過剰な人口の都市集中の結果、生まれたバック・ツウ・バックなどの劣悪な建物を建設し供給していた不動産屋、建築業者を指していうことばです。それらの劣悪な環境問題に対して医師エドウィン・チャドウィックなどの公衆衛生法の確立がありました。消費者団体、労働組合などの設立や、エンゲルスのマンチェスターの工業都市の調査などから、社会主義、共産主義への道を含めて、近代の公共性、社会性の確立が行われました。西欧では今でもそのコンテクストの上に建築が語られています。翻って日本ではそれらの切迫した都市や、社会構成上の問題は、西洋化を後追いするかたちでの導入であり、社会性そのものもファッションとして消化されてしまい、現在でも建築や都市や環境に対する公共性、社会性の概念は希薄です。また美しかった日本の都市環境は、一九三五年を境に、公共、半公共の建物が現れはじめると、街や、山や、海が破壊されました。公共性、社会性が一番必要であるべきはずのもので、自然環境が破壊され、一律の変化のない建築物によって埋め尽くされています。サイレント・マジョリティとして環境破壊の建物は、それがあまりにオーディナリーであるために批判も受けず、もくもくとつくられています。
私たちはそれらの小さい公共や準公共の建物に対して、高齢化対応、いろいろな物語性の発信なども含めて提案しています。
福島の特別養護老人ホームです。老人病院を調査すると、匂いが気になるという声が聞かれます。匂いも粒子ですから、パッシブソーラーの考え方でその粒子を風で抜くことができないかと。別のところでつくった老人病院で、トップサイドライトを付けると臭くないことを学び、それをデザイン化しました。
居室は、村のようなかたちで一室一室違ったものができないかと考えました。中庭を挟んで回遊できるようになっています。パンタグラフのようになっているところは、開閉して風と光が調整でき、真ん中まで開いて風の方向を変えることができるようになっています。
世田谷区は、区を八十二分割し、五〇〇メートルおきに五〇〇平方メートルぐらいの地区センターを、一〇〇から二〇〇坪の敷地につくるのがパターンになっています。敷地から最低二メートル道路に対してセットバックすることや、広場をつくることが決められています。
斜路を上がっていくと中庭が見えてきます。エレベーターがいいか、斜路がいいかという問題がありますが、私は「スイッチバック」という愛称の行って返ってくる斜路を付けました。高齢者や障害者に対して、段差がないといかに便利かを研究してます。
近隣の人がうるさく、自分の家の窓台より高い建物をつくってはいけないという人たちが何人もいました。それで、地下に大会議室を設けることになりました。広場は「二〇〇一年宇宙の旅」のイメージで、夜、ぼーっと光っている感じがよいと思い提案したのですが、屋根の上をガラスブロックで覆うのはやめてほしいということで、ガラスの筒だけが残るかたちになりました。
構造は全部下からキャンティレバーで形成されています。横梁を一切取らずにコンクリートの板でそのまま浮かし、一〇〇ファイの鋼管だけで支えて、浮遊感を出しています。
地下へ降りて行くと、ダンスなどができるホールになっています。現在、地域の演劇が好きな若い人たちの練習になどにつかわれています。この施設をつくるのは世田谷区ですが、管理運営は住民です。住民の希望があるところに優先して建てています。