アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
ここからは少し建築的な話になります。私は自分のテーマとして、各五年おきくらいに、建築のつくり方、かたち、その時代を考えるようにしています。これは一九八五年から一九九〇年のいわゆるポスト・モダンの時代のもので、この「アローエースゴルフクラブハウス」と「エースプラザ」そして「水戸市立西部図書館」の三つのドームをもつ建築を手掛けました。私はクラシズムの建築がもっている構成の方法や構造で構築しようと思いました。表層だけを真似していたいわゆるヒストリカル・クラシシズムの失敗は見えていました。近代建築を見直すため、初期の近代建築家が考察した過程や、古典建築の中にある普遍性とは何かと考えました。
西洋の比例の美、境界の天蓋、日本の伝統工芸などは、モダニズムではあまり顧みられないものですが、「装飾は罪悪だ」といったアドルフ・ロースや、モダニズムの旗頭たちの初期の作品は、現代から見れば装飾的です。むしろモダニズムがアメリカの大衆化時代の産業資本に組み込まれ、建物が廉価に量産されたとき、違った道を歩きはじめたと考えられます。モダンデザインの初期の建築家が、異なった方向を向いて仕事をしていた時期を見直すことが大切じゃないかと思いました。また過去に現れた建築の形式を看過するのではなく、普遍的な力を有するものがあるはずだと考えました。宗教やイデオロギーが社会を束ねることができなくなった。『物語なき』現代。明確な動機付けが失われた場で、何かをつくり出すのはなかなか難しいものです。建築言語のバリエーションから形態を引用し、相対的な差異を生み出すこともできますが、消耗も速いと思いました。それで『普遍的な何か』を見つけ出すために、建築やデザインを丹念に検証し、根気よく組み立てていく作業が必要だと感じました。建築の形態、形式、形象を正確に把握し、ひとつの基本的な形式の上に、異なった空間のイメージを、オーバーレイできないかと考えました。現代の複雑なプログラムや、社会の進歩による新しい要素の導入によって、その原型的空間は変化するだろうか、次代を担う原型的空間はあるのかと考えました。「建築とは空間の思慮深い形成であり、建築の連続的更新は空間概念の変化から生じる」というルイス・カーンのことばや、チュミのディスプログラミングの概念を考える過程で、われわれの時代のプログラムの必要性を感じたのです。また西洋の形式をベースに、東洋的な何かを表現する、単なるエクレクティシズムではない、地理的条件や、歴史性、諸々の意味が塗り込められたオリエンタルゴシック、すなわち東洋と西洋のFUSIONを考えました。
一五〇メートルほどの通路でつないで一階建ての横に長いクラブハウスをつくりました。ライト兄弟の飛行機のようなかたちをしているので、「NEO FLY ONE」と名付けました。
ペンシルバニア大学にいたときの構造の先生がバックミンスター・フラーでした。その「フラー・ドーム」を使っています。フラットバーとアングルで組み合わせてドームをつくっています。昼間外から入って来ると、まず水が見え、見上げるとドームがあります。複雑なことをいかに単純な部材でつくるか考えました。これは三つのピースだけでできていますので、一千万円ぐらいしかかかっていません。木製のサッシの中に鉄筋を通して引っ張っています。柱や壁はキャティで地中より立っており原則として独立しています。また木と同じように上にいって開き、ドームや梁を飛行機のリブのように軽く乗せ、柱と梁の間で、光と風のコントロールができるようにしました。ゴルフとともに自然を親しみに来るのですから、自然換気で建物をつくろうと思いました。間伐材の使い方ですが、断面を組み合わせることにより太い構造体をつくりました。こうすると材が少なくて済みますし、脱脂するのも簡単で、曲がりも少なく、意外にクラシズムな面が出てきます。これを一本の木からつくるとたいへんお金もかかり、曲がりも多いということです。
照明器具、皿など、工芸の領域までデザインをしています。レンガの積み方は、ビクトリア時代のやり方で、非常に難しいタイルの積み方なのですが、文献を見ながら試みました。
空間の構造はアンドレア・パラディオの「ヴィラ・ロトンダ」のスタディをしながら、中心の在り方、比例の法則を考えました。ドームのホワイエを中心に、各内部空間が、完全にシンメトリーに配されているヴィラ・ロトンダに対して、現代のノイズや要求によって、完結しないシンメトリーの構成となっています。砂岩と磨きタイル、アルミと木のパネルなど、異種の材料をどうつなげばよいかを考えました。木材を複雑に三角形に組み合わせる方法を考え、ドアなどをつくっています。
中に九個のドームがあります。七つのピースでひとつのドームの四分の一を形成しています。ここでもパッシブで空気を抜いています。日本の蔵のプロポーションで、下が高く上が短いという、磨きタイルと砂岩の組み合わせを使っています。
通常石張りはすごく高価だと思われていますが、日本の場合は、木と同じように考えて、断面をきれいに見せようとしますから、地球に直角の方向に切ってしまい、その中から美しい目筋のものを選んで使ってしまうので高く成ってしまいますが、地球の層状に切り出せば、意外と石は安く、実際に長持ちします。
エッシャーの階段のようにぐるぐる回る階段。階段もふたつの構成要素を組合わせていくと、複雑になります。日本でこういう複雑な建物をつくる場合、建物の最終的に決定した図面を見せると、ものすごい値段になってしまうので、七つのフラットバーを何百本というように部材の発注方式を変えて、それを組む方法でやりました。
四〇〇メートルの回廊は、体の弱い人のための段差のない大きなキャノピーです。ギリシャのスコア派やペリポトス派は回廊を意味します。
筑波大の栗原嘉一郎先生は、今後の図書館はもう少しいろいろな要素の部屋、例えば、和室や、オーディオ・ビジュアルの部屋や、ギターを弾ける部屋など、ワークショップになる部屋を入れるべきだと主張しています。
GIROの構成はダイヤゴナルな軸と、中心に向かうA Roomによって構成されています。中心の空間の構成は、プレー、ルドゥー、アスプルンドと続く幾何学の流れの中に、位置付けられます。図書館の歴史は、一七世紀にはじまり、学問や芸術のパトロンである個人が、自分の図書室を一般の人に公開したものでした。その天井はドームなどで覆われ、壁には本棚があり、ソファーなどが用意されたある種のサロンのようなものでした。時代が経つにつれて、図書室が特殊化され、アットホームな部分が消え、本の倉庫と化してしまいました。近年、図書館の開放が叫ばれ、ソフトの部分ではいろりろな使い方が提案されてきていますが、かたち=空間としては、旧来の倉庫的空間がほとんどです。そこでこの図書館計画では、原点に立ち戻り、書斎やサロンの延長として、中心性の強い花びら型の図書館とし、その回りにアートギャラリーや談話室、AVホールなどを設けました。回廊の中は大きなグリーンの広場で、自由に建物に入れるようにしました。市長が、今の人は本を読まないので、安い本なら盗まれてもいいから、とにかく開架型の図書館をつくろうといい、ブック・ディテクションもありません。
梁とトップライトは、フライング・バットレスと同じように、力を外へ流してやるような考え方で建築をつくっています。
展示ギャラリーは、シリンダーの力を梁に流し、全体に筋の光が入ってくるようにしています。梁は触れ止めで使っています。
二階の本棚は、円形にダブるの本棚を取り、回廊を回しています。
こども用の部屋と大人の部屋で、窓の位置を変えています。部屋ごとに天井の折上げの方式を変えました。
ドーム天井端部は、ダブルの鉄筋格子のジョイント部分に六〇〇〇個の真鍮ボトルを使用しているので、星のようにきらきらと光り、視覚的効果があります。構造ですが、鉄筋を地上で組み、それを持ち上げました。シェルでカバーした上にタイベックス・シートを置き、そのまま打つ方法を考えました。スランプ値八の硬いコンクリートを押し込むようにして、ドームの上に銀ペンキを塗って仕上げました。
回廊の方は木製のシェルで、これも南京玉すだれのようなものを向上でつくって、それを開いてその上にコンクリートを打っています。