アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
四万十川の源流に梼原という町があります。棚田の風景が広がる非常に美しい環境です。この町に地域交流施設を設計しました。普通の建築家、あるいは古典主義的な建築家は、自然環境と対比した人工物をつくろうとしますが、そうではなく、ここでは自然環境と人工的なものの中間的なものをつくることを目的としました。
水面とその下のランドスケープの関係をどうするか、これが一番やりたかったことです。水面の下に建物の機械室や、街道沿いのトイレなどが入っています。上のものはなるべくミニマムにして透明な空間をつくりたいと思いました。木造は、筋交いなどいろいろなことが必要になってきて、空間が不透明になってくるのですが、ここでは木を使って、鉄で補強しています。木と鉄の混合物をつくって、水面の上に透明な空間を浮かせたいと思いました。構造は中田捷夫さんで、この作品で松井源吾賞を受賞されました。
水面の上に舞台をつくっています。この町には文化ホールや美術館がありません。そこで私はここを文化ホールと考えることにしました。町の伝統芸能である神楽をやるとおもしろいのではと、ステージをつくりました。近代の文化ホールのように、ハコの中に隔離してものを見せるスタイルではありません。そもそもは、環境と一体となって文化を楽しむのが、本来の文化ホールだと考えたわけです。実は私、今日も高知から来たんですが、昨日の夜この場所で、土佐琵琶の演奏を楽しみました。タ日の逆光の中で土佐琵琶の演奏を聴くというなかなか感動的な夕べでした。この考え方は、後で紹介する「森舞台」のメインテーマとして浮上してきます。
夜は舞台が浮き上がってきます。水のエッジがないことがここでは重要です。水をオーバーフローさせることでエッジはなくなります。エッジのない水平面が、自分という主体と環境の中間に挿入される。そういう手法は、日本建築において巧妙に環境づくりに使われています。例えば「座」という言葉にも示されます。「座」とはそういう水平面を指しているのですが、そういう座を巧妙に配置することで、主体同士の関係を規定したり、主体と環境との関係を規定することを非常にうまくやっています。日本建築の大きな特徴といっていいと思います。
その場合に、エッジがないことが重要なんです。エッジを消していって、回りの環境と主体の間に新しい関係性をつくっていく。そのエッジのないものを水面で実現したのがこれで、このアイデアは後の「水・ガラス」という建物で、もう少し全面的に使われていきます。
桂離宮の竹縁では、竹でつくられた水平面が、庭と自分という主体の間の関係性を規定していくという非常に大きな役割を果たしています。また、庇と床面という二つの水平面が主体と環境との間係を規定していきます。水平面をパラメーターにして、環境を操作する。水平面を使った環境技術は、日本建築の得意技です。月を見るときに縁側で人びとは月を見たといわれています。
月の光が竹に反射して、きらきら光る。光という環境因子を、竹縁が増幅する役割を果たしている。竹縁がなければ月の光はささやかなつまらないものかもしれませんが、それを竹縁というエレメントで増幅することで、月の光という非常に弱いものがわれわれにとって、大きな存在として浮かび上がってくる。これが先ほどの水につながってくるのですが、このテーマをもう少し大きく展開したものが次の作品です。