アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
宮城県の登米町から能楽堂を依頼されました。普通、能楽堂は、巨大な室内空間の中に舞台があります。明治17年に芝の「紅葉館」という室内型の能楽堂ができて以来、雨の日でも便利だということで、室内型の能楽堂が一般的になってしまいましたが、そもそもは野外にあったものです。例えば「西本願寺」の南舞台ですが、ここでは能楽堂は外にあります。舞台があり、見所があり、その間が白洲といわれる聖なる空間になっています。ここは能においては非常に大切な空間です。能はそもそもあの世を表現しています。舞台の上はあの世なんです。ですから、あそこで踊っているのは死者なんです。あの世というものを、現実のこの世から切るために、白洲という空間が必要なんです。そういう空間が、室内型の能楽堂にはありません。厳島神社の能楽の舞台は水上舞台ですから、水が聖なる空間として使われています。見所と舞台の間の空間がたいへんに重要であり、そこに光が差し風が吹き抜けるという、その間が大事なんです。それを何とかしてつくりたいと思ったのが、私の能楽堂です。
本舞台に橋懸というスペースがつながっています。橋懸も、角度、長さ、いろいろのタイプがあります。回りはたいへんきれいな森なので、それを生かして、森の環境が能の空間に入ってくるようにしたいと思いました。見所をつくり、白洲の部分をゆったりととっています。公共建築は、催しをしていないときは普通鍵ががかっています。私はこの能楽堂に携わる際にいろいろ見て回ったのですが、市や県の管理主体に連絡をして鍵を開けてもらわなければ見ることができない能楽堂がたいへん多かった。税金を何億もかけてつくった建物が、いつも閉じられていることに対して、私はおかしいと思いました。そこで、いつも人が訪れられる能楽堂にしようと考えました。
能楽堂では初めての試みですが、白洲を階段状に立ち上げて観客席としても使えるようにしています。階段の下のスペースは能関係の資料館にして、能をやっていないときでもいつでも見学できるようにしました。このようにして、公共建築の解放性を実現したいと思いました。もちろん白洲の部分も、いつも開かれています。
宮城の町もいろいろな様式の家がごちゃごちゃしていてあまりよい風情ではありません。そこでそういった環境と森の環境を切るために、杉の間伐材を使ったルーバーを設けています。すぱっと切断するのではなく、あいまいに境界をつくる意味でルーバーを使用しました。
見所は思いきって低く抑え、水平屋根をつくり、建築の存在感をなるべく消したかった。段々状の白洲のエッジは、ステンレスのフラットバーで止めています。先ほどの水のエッジと同様、エッジをなるべく消していきたいというわけです。
また、この能舞台は腰板がないんです。腰板をつけない例としては水上能舞台があげられます。なぜここで腰板を取ったかというと、暗い闇のような世界の中にこの舞台だけが浮いてるようにしたかったからです。屋根などのディテールも、普通の能舞台ですと屋根に厚みがあるのですが、ここでは簿くして物質的在在感を稀薄にしようと試みました。登米町は天然スレートの産地ですので、それを使って茸いています。
能舞台の下には、足で踏み鳴らす音を反響させる「かめ」があるのですが、音響の専門家いわく、あのかめはあんまり効いてないということで、私はかめを使わない方向で考えていたのですが、竣工間際になって町長さんよりかめがほしいといわれ、町の方々にお願いしてかめを寄付していただき舞台の下に置くことにしました。
能の資料館は、昼間は資料館、夜は能の謡曲会の練習場、また本番のときの楽屋の三つの機能を持っています。普通、能楽堂は最低でも五億円かかるのですが、一億九千万円でできたのは、そのように空間を何重にも使い回すという発想があってできているからです。
「森舞台」で使った杉の間伐材のルーバーを、逆にメインのテーマにしてつくった福島県にある建物です。手前に阿武隈川が流れています。この建物は、工場とそば屋が一体になっています。見えるのはそば屋の部分です。川沿いのワンスパンだけが木造でそば屋になっていまして、工場部分は駐車場の下に埋められています。ですから、シルエットの低い建物となっています。バイパス沿いから見ると非常に小さく見えるので、オーナーからバイパスの車から見えないと心配されました。しかし、私は、逆に建物を埋めて小さくまとめることが重要だと思ったので、一階だけを見えるようにしました。そのワンスパンの両側に木製ルーバーを張って、その二枚のルーバーでできるフィルターの干渉作用を見せようという考え方です。
私がたいへん気にいっているプロジェクトです。建物を埋蔵しているんですが、完全に埋蔵しているわけではなく、斜めにして半分埋めています。半分埋めたその上に潜在自然植栽を植えて、公園的な人為的植栽ではなく、ランダムな植栽計画をしようと考えました。植栽の下に地面があって、その下に図書館の空間があります。図書館内はガラスで間仕切られた透明な空間で、上のスリットから人がのぞけるようになっています。国会図書館というと非常に堅苦しく近寄り難いイメージがありますが、この案はその上にだれでも乗れるようにしようと考えたものです。