アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
青森県立美術館の設計をやることで意識的になったことは、機能に対してどう答えるかということよりも、使う人、美術館の場合であればそこで作品をつくったり、パフォーマンスをする人、住宅であればそこに住む人、学校であれば児童や生徒、そういった人と空間が対等になることが大切なのではないか、ということです。先述したように、空間には遊園地的なものと原っぱ的なものの二種類があります。遊園地は、意図された行為あるいは意図された感覚から逆算してできた空間です。そのため、人と空間の関係は対等ではなく、空間が人に対し、行為や感覚を強要します。逆に原っぱでは、空間が子どもたちの遊びの感覚を触発し、かつ実際にそこで子どもが遊ぶことで空間が形づくられていくという意味で対等です。
原っぱ的な原理でできている空間というのはなかなか議論しにくいし、僕たちの多くが遊園地のような演出された空間にあまりに慣れすぎてしまったがために、原っぱ的な空間を想像することすらできなくなりつつあるというのが現状です。僕は、このことに対して明確な理念を持ち合わせているわけではありません。
しかし、原っぱ的なものとは何かを考えて建築をつくっていきたいなと考えています。今のところ、そのつくりかたの方法というものはよくわかりません。そもそも方法や論埋を持ち得ないところに、原っぱはあるのですから、ひとつひとつ設計をしていく中で、考えていくしかありません。
ただ、空間を隙間化していくことで原っぱ的なものに近づけることができるということはいえるかもしれません。隙間というのは、つくろうとしてできているわけではなく、あるものとあるものをつくった結果、生まれるものです。住宅をつくってそれが全部隙間である、あるいは美術館をつくってそれがすべて隙間である、ということは本来へんな矛盾したことです。しかし、意図した結果の空間であると、かえって息が詰まるというが、そこで何かをしたいという意欲がなくなるということを考えますと、隙間みたいなもの、つまりある構成の副差物として生まれてしまうものに、ある可能性があるのではないかと考えています。