アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
今日はシステムズ・ストラクチュアというテーマでお話ししたいと思います。システムといいますと、構法や構造を思い浮かべる方が多いと思いますが、ここでいうシステムとは、建物をつくっていくプロセス、たとえば、さまざまな人との関わりといったことも含まれています。2000年に竣工した「公立はこだて未来大学」では、多くの方々が参加して一緒に設計をした印象が強く残っています。そのことがこのシステムズ・ストラクチュアを考えるきっかけとなったのかもしれません。
「はこだて未来大学」の計画に際しては、「開学計画策定委員会」という開校後に先生になられる方をメンバーとする委員会のほか、函館市およぴ周辺の四つの町が連合してつくる大学設置推進事務局、コンサルタントである開発構想研究所、造成のアジア航測、そしてわれわれ設計事務所というように、多くの人が大学づくりに参加しました。これだけ多くの人の意見を組み込みながら設計を進めるにはどうしたらいいか、ということを「はこだて未来大学」では考えざるを得なかったのです。
「埼玉県立大学」では、当初、私がスケッチをしてスタッフが模型をつくり、その模型を検討し図面に落とし、それで準備室や営繕課に説明するという、それまでずっとやり続けてきたスタイルで設計を進めていました。私個人の主体性なりキャラクターがひとつの建築をつくるというつくり方でです。しかし、設計を進めるなかで、この方法は通用しないのではないかと思い始めたのです。つまり、5万4千平方メートルという大きさの建物のあらゆるところを、住宅一軒設計するようにデザインするということは、時間的にも、物理的にも当然無理があるわけです。従来の方法ではできない。どうしようかかなり悩みましたけど、途中で、これだけ大きなものをまとめるためには、なんらかのシステムのようなものをつくる必要があるのではないかということに気づいたのです。それは大学という建築をつくるシステムであり、また多くの人たちが参加するシステムだと思います。そのことに気づいたことで、設計の進め方は途中で全面的に変わり、システマティックなものへと変わりました。プレキャストの架構法を採用したこともそのきっかけのひとつでした。こうした建築のつくり方を体験したものですから、「はこだて未来大学」では最初から、多くの人が参加するシステムと建築をつくるシステムとが一致するような方法が採れないものかと考えたのです。
このふたつの経験を通して、建築の存在そのものが変わってきているということを痛感しました。20世紀の初頭から、建築というのは社会的な存在なはずなのに、ある作家の作品であるという側面がとても強くなってきました。それがどんな建築であったとしても、ル・コルビュジエの作品だったわけですし、ミース・ファン・デル・ローエの思想と一緒に語られるべき対象だったのです。しかし、そうした見方自体が修正されてきているような気がします。今、あるひとつの建築をつくったときの影響は、1920年代に比べて確実に大きくなっています。社会の構造の複雑化とともに、その影響も複雑になったといってもいいかもしれません。
このような時代に、ひとりの作家がひとりですべての責任を負って建築をつくっていくという今までのつくり方自体が、やはり何らかの修正を追られているのではないかと思っています。現代の建築家は、責任を負う必要がないといっているのではありません。そうではなく、現代の建築家は、多くの人が参加するコミュニケーションの場をつくる責任があると思うのです。われわれ建築家の提案の背景には、「こういう空間に共感して欲しい」という気持ちがあります。つまりコミュニケーションを前提にしているのです。建築家の提案のないところに新しいコミュニケーションは生まれないという意味でも、建築家の役割や責任はますます大きくなっているのです。
「住民参加」で建築をつくる、という従来の方法とこれは全く達います。その問題点は、住民が参加する前の、最初にあるべさ建築家の提案が希薄だということです。希薄で漠然としたものであるがために、建築がさまざまな人たちの意見の集積でしかなくなってしまうのです。さまざまな人たちの過去の記憶の断片がそのまま形になっていくものだから、凡庸なものにしかなりません。私たち建築家がすべきことは、この建築ができることによってひょっとしたら今の世の中の関係が少しは変わるかも知れないと、多くの人たちが思うような提案をすることです。そうすれば、多くの人たちの参加の仕方もコミュニケーションの方法も変わってくると思うのです。建築家は、いいデザインをしたりかっこいいものをつくる以前に、そうしたコミュニケーションを誘発するような、共感を得ることのできる提案をすることが重要なのだと思います。
提案した空間なり、場所、デザインは、提案した時点で多くの人に共有されます。それから先は、建築家も参加者のひとりなのです。
はこだて未来大学」で僕は巨大なスタジオを提案し、それに対し多くの人が共感してくれました。共感された途端、僕も含めみんながそれをどうしたら実現できるかというような気分になっていったのです。こういったコミュニケーションのフィールドに参加する人を社会学では「エ−ジェント」というようです。「エ−ジェント」というのは作用因ですよね。社会学ではある現象を調べるときに、様々な「エ−ジエント」にインタビューしたりアンケートを取ることで、総体を検証するという方法を採るようです。そういう意味では建築家も住民もみなエ−ジェントですし、社会全体を見れば、建築家もまたひとりのエ−ジェントです。建築家はあらかじめ作家であるというような自らの固有性を求められているわけではなくて、単にエ−ジェントのひとりであるということが要請されているのだと思います。
そういう意味で、システムというのは、建築家も建築をつくるときのエ−ジェントのひとりとしてその建築に参加していくという姿勢なのではないかと思います。