アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
東京国立近代美術館で「現代美術への視点--連続と侵犯」という展覧会をやっています(2002年10月29日〜12月23日)。遠藤利克さん、中山ダイスケさんなど、現代アートの作家十人が展示をするのですが、そのひとりになぜか僕が選ばれました。青森県立美術館では、作家のための空間をつくっているのですが、ここでは立場が違って、作家として何かやってくれと頼まれたわけです。
僕が選んだスペースは、展示室と展示室の間に挟まれた空間です。普通、美術館では、展示に柱が邪魔になるので、柱と柱の間を埋めるように間仕切り壁をつくってしまいます。その、普通、埋められてしまう間仕切り壁と間仕切り壁の間のデッドスペースを少し広げて、ここで何かやろうと提案しました。ですから本当はあり得ない場所です。その場所には、柱という既存のものがあって、そのまわりの空間があるのです。壁や柱には、花柄を700倍に拡大したものを壁紙にして張りました。映像や写真で見ると、花柄が花柄として見えるわけですが、実際に見ようとすると、とても近いので花柄とは認識できません。床には東京国立近代美術館の前庭の芝生を撮って、その写真を拡大したものを張っています。
上に樹脂を流し込んでいるため、水が溜まっているような質感になっています。入りたいけど入っていいのかな、という感じになっているので、小さく「靴のま作家として何かをつくるのは初めてのことですが、ある意味で建物をつくっている時と変わらない感じがします。どこが変わらないかというと、ルイ・ヴィトンの場合、ある形式があって、自分で決めた構造体という形式ですが、そこから出発したものを読みとってどう変えていくかをやります。それと同様にここでは、最初に隙間という形式があって、そこから何ができるかをやってみている。つまり、最初にある形式があって、そこから出発するという意味において、変わりはないんじゃないかなという気がしています。まお入りください」と書いておきました。
間仕切り壁を広げていった結果、できた隙間の向こうに、展示用のガラスケースが見えてしまうところがあります。そこに展示する絵は、収蔵庫に入れてもらって、その中から選びました。三点展示してありますが、ひとつは辰野登恵子さんという作家の絵です。僕は壁紙に花の写真を使いましたが、そこに花も壁紙でもない違う何かを見てしまいます。そのような視点のありようが、辰野さんの作品にもあるように感じ、この絵を選びました。ただ、このような展示の仕方だと、絵全体を見ることができなくなり、大抵作家の方は怒ります。でも、ご本人に会ってお話をしてみたら、とてもおもしろいからいいといってくれました。
Uとも共通しますが、普通、美術館でいう表側の世界は、いわゆる展示室です。それに対して、間仕切り壁の内側のような裏の世界があります。その裏と表がいつの間にか入れ替わるような感じになればいいなと思いました。表側の世界にいて、ふと横を見ると隙間の空間があって、そこを通して絵が見えるような、簡単に表とか裏とかいえないようなふたつの世界があって、それが拮抗しつつ、宙づり状態になりつつ、つながっている状態、そういうものができたらいいな、と思っています。
その状態は、ある意味で魅力ある街とも同じかなと思っています。パリなどもそうで、小さなギャラリーを訪ねようと思うと、道路に面した大きい門のところから、その部屋のインターフォンを押して、向こうで開錠してもらう。門を開けるとそこに中庭があって、中庭を歩いていってギャラリーに辿りつく。そこはもう道路からも見えないところで、街の喧噪からは完全に遮断されている。ギャラリーの中は中で、新築の部分あり、改築、改修の部分あり、時には歴史的な遺構があったりと、さまざまな時代の痕跡が見てとれる。そういった街としての奥行きを感じさせてくれる体験と、表と裏が瞬時に切り替わるような感覚には共通するものを感じます。
東京にいて感じるのは、昔は違う意味での、つまりメビウスの輪的な奥行きがあったのに、どんどんそれがなくなっていることです。表参道の同潤会のように奥行きのあるものが壊され、どんどん街はのっペらぼうになっていきます。裏があっても、パリのように表と裏がパッパと切りかわる関係ではなく、いつの間にかそっち側に行ってしまっていることを、事後的に認識するような体験が多かったのですけれどね。
以前、15、6年前だと思いますが、竹芝桟橋から隅田川をのぼって浅草まで水上バスに乗りました。水上バスの存在など知らなくて、たまたま竹芝をうろうろしていていたら発見して、乗ってみたのです。最初、まわりは倉庫街でした。だんだんのぼって八丁掘を過ぎて新川あたりへ行きますと、少しは知っている世界を感じることができるようになります。当時、建物はすべて川とは反対側を向いていましたから、川という裏の世界から表の世界を垣間見るような感じがしました。そして、浅草に着く頃には、表側に戻ってきたと感じました。川に向かってお店が出ているので、川側が表なのです。表、裏、表とスムーズにぐるっとまわる体験でした。この時、自分にとっての東京に、奥行きが出た感じがしました。東京にもスムーズに切り替わる表裏の関係があるんじゃないかと思ったのです。しかし、その後、川に向かって表側をつくるウォーターフロントの開発で、裏はなくなってしまいました。丸ビルだって壊してひどいものになってしまいましたし、裏がどんどんなくなってきています。建物をつくって都市を変えることができるとは思いませんが、何とか自分でつくっていく空間の中で、かつて自分が体験した都市のよさを再現できないか、あるいは都市のおもしろさを考えるきっかけにならないか、と思っています。
U bisは、学芸員の方からすると、かなりショッキングな作品らしいのです。普段は見せない間仕切り壁の裏側が見えてしまうことで、リアルに見せたい間仕切り壁がフィクショナルに見えてしまう。そのことにおいてとてもショッキングなのです。しかし、これは決して、美術館がフィクションでしかないということを攻撃するためにやっているわけではありません。美術館には、それが仕方なくもってしまっている方法とか形式があります。しかし、同じ方法や形式でも違う読み取り方で違う世界がつくれてしまうことに興味があって、このプロジェクトをやってみました。