アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
先日、『新建築』(2002年11月号)に「つまらなくて価値のあるもの」というタイトルで文章を書きましたが、なぜそれを書いたのかを聞いてもらいたいと思います。というのも、世の中には面白くて価値のないものが溢れています。建築関係の雑誌を眺めてみるとそういうものが多すぎる。若い世代の建築家のつくるものに、面白ければいいじゃないかという傾向がある。学生の課題を見ても、コンペの審査に立ち会っても、何か建築家は面白いことをやらなくてはいけないという状況になっていることに、僕は危機感を抱いています。形の面白さを競うような話はもう古いのではないか。小さなアイデアをちょこっと出して、そんなに喝采を浴びたいのか、そんなことが一生をかけてやる仕事の根底にあっていいのかと僕はいいたいのです。
分かりやすい話でいうと、『ブルータス』という雑誌が今売れています。そこでは建築家がスターのように出てきて、少し変わった建築が紹介されます。でも、建築って本当にそういうものなのかと、むしろみなさんに問いかけたい。渡辺篤史的世界でいいんですか、みなさんが求めているものはそれですか、と。もっと違うのではないかといいたいのです。これは時々いうのですが、世の中には伝わりやすいものと伝わりにくいものがあります。伝わりやすいものというのはメディアに載ったり、あるいはインターネットに載ったりしやすいものです。けれども、本当に大切なものは伝わりにくいものの中にあるのではないでしょうか。それが僕のいいたいことです。
僕も建築をつくって雑誌に発表したりします。そうすると、非常にストレスが溜まります。本当に伝えたいことはこういう感じではないのだけれどな、といつも思ってしまうのです。写真にすると実際とは違って見えてしまうからです。こんなに綺麗ではないのにな、とか、もう少し違ったものがあるのにな、と思ってしまうのです。今日のように講演会に呼んで頂いてスライドを映しても同じです。写真は形のわかりやすい、映しやすいところを映しているからです。けれども実際に僕がやりたかったことは形ではなくて、そこに流れる曖昧模糊とした空気感であったり、肌触りであったり、質感であったり、その時に差してくる光であったり、そういう写真にならないものを思い浮かべて設計をしている。
それに職人さんや現場の監督、部材をつくってくれた人、クライアント、そういう人たちと一緒にやったのに、何で自分だけがやったかのように説明し、スターのように振る舞わらなければいけないのかと思います。だから本当にやりたいこと、やったことというのは、実は一番伝わりにくいのです。僕が大切に思っていることはみなさんには伝えにくい。大切な核心に迫れば迫るほど、写真にもならないし、実は言葉にもならないと思っています。
ある人をある人に紹介する場合を考えてください。AさんのことをBさんに説明する時、Bさんには、Aさんの髪型や身長、経歴などについて話します。でも、それはAさんの本質を伝えていることにはまったくなりません。Aさんの本質というのは、もっと分かりにくい、言葉にならないような、あるいは形でも伝えられないものなはずです。踏み込んでいうと、僕たちのアイデンティティというのは、実はきわめて分かりにくくて、自分自身の存在のあり方なんていうことは他人に伝えられない、伝えきれないものだと思うのです。だからこそ人間は面白い。そして、建築は、そのような人間が集まって、一緒になってつくるからこそ厚みがあって深いのです。そういう分かりにくくて、一見面白くないもの、でも価値があるものとは何だろうと、最近僕は考えています。面白くて価値があればそれはそれでいいわけです。けれどもつまらなくて、価値のあるものができたら本当はいいなと思っているのです。
住宅を依頼しに来るクライアントがいます。あまり引き受けられないのですが、引き受けた時に、僕は最近こういいます。「できるだけつまらない住宅をやりたいですね」と。そうすると、クライアントはがっかりします。『ブルータス』に載るようなかっこいい住宅をつくってくれると思っているからです。そこで僕はそういうものはあまりやりたくないといいます。
なかなか許してもらえないのですが、僕がやりたい住宅というのはこういう住宅です。間取りを見ても何も面白くない当たり前の間取りで、平面見ても断面見ても分からない、けれども出来上がったものは何か空気が違うな、と感じるものです。