アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
竣工して、10年が経ちましたが、それなりに年を取ってきています。汚くなるところは汚くなり、博物館の収蔵物も設計を始めた当初より五倍ほどに増え、手を加えている部分も増えています。つまり、僕がいいたいのは、建築が、博物館が生きているということです。設計を始めた時点で収蔵物は1万点弱でした。1985年のことです。収蔵庫に収める点数は、大体そのぐらいであろうとクライアントと相談して決めたのですが、終わった頃には1万5千点くらいになっていました。そして1992年に博物館がオープンした時には2万5千点になり、現在は6万点を越えようとしています。館長に、なぜそんなにものを増やすのかと聞いたところ、ここに収蔵しなければ世の中からなくなってしまうからだといわれました。そんなこんなで、収蔵物はどんどん増えていくため、建築のあり方が変わったり、建物に手が加えられていくのですが、手を加えていくということは博物館が生きているということで、それは素晴らしいことだと思うのです。建築のデザインなどよりももっとすごいことだと思うのです。建築家によっては、手が加えられることを拒む方もいらっしゃいます。張り紙をするなとか、そんなものを置くなとか、事細かに指示をする建築家もいます。でも、僕は張り紙しても、ものが置かれてもいいんじゃないかと思うのです。建築の価値はそんなもので揺らがない。僕はそう思っています。
収蔵庫は1985年から89年まで四年くらいかけてつくりました。その後、展示棟を三年かけてつくっています。ですから設計のプロセスの中に半ば年を重ねていくというプロセスが入っているわけです。建物全部が終わって七年半ですから、時間のプロセスを共有できたということがよかったのではないかと思います。
収蔵庫には、プレキャストコンクリートを用いています。非常に精度の高い、素晴らしい仕事をしてくれました。
ご覧になる時は、コンクリートの肌を見て下さい。設計強度400キログラム程度で十分なのですが、実際は600キログラムほどあり、通常のコンクリートに見られるようなヘアクラックがまったくありません。内部は、船やさまざまな漁労用具がびっしり敷き詰められています。今となってはどこにもないような生活用具も保存されてあり、とてもおもしろいのですが、人が入ると温湿度が変わってしまうため、一般には公開されていません。
それに対して展示棟では、大断面集成材を使っています。今でこそ大断面集成材を用いた建築はたくさんつくられていますが、その特性を十分に考慮し、大々的に建築空間に使用した最初の建築だと思います。大西さんという大工さんと一緒につくつた足元のジョイント部など、さまざまな工夫が施されています。
ちなみに展示物はすべて手づくりです。学芸員の浜口さんが何から何までつくりました。この手づくりの技にも味があります。例えば、地引き網を引く人の模型をつくる時、実際の地引き網は見た目以上に重たいものなので、引いたことのある人がつくらなければ、その感じは表現できません。ここの展示物には、そういう意味でのリアリティがあります。ご覧になる方は是非、そういうところを見て頂けたらと思います。
自前の財団法人が運営していますので、入館料だけが頼りです。是非、たくさんの方に行って頂きたいと思っています。たくさんの方が行けば行くほど、博物館は生き延びられます。とにかくこの博物館は生きています。行かれたら、その生きている呼吸のようなものを感じて頂きたい。ただ、生きるということは老いるということでもあり、ビジュアル的にはマイナスかもしれません。でも、それでいいではないかと思っています。ある時、外国から来られた方がこの博物館を見て、good aging(いい歳の取り方をするね)といってくれたそうです。それは一番の褒め言葉です。僕はそのことを聞いてとてもうれしく思いました。
ですから建築が普通の人の目線から本当にいいのかという声を上げなくてはいけないのですが、どうも元気がない。これだけのことが起 きているのに論ずる人がいない。やはり論ずるべきだと僕は思います。若い人から年輩の方まで、今のような都市再生で本当にいいのかということを論ずるべきだと思います。そこで僕は「空間価値」ではなくて、「時間」についてお話ししようと思います。
時間というのは、地面の上に降り積もるものです。ですから、語られるべきは地面です。空中はマネーゲームに明け渡しても構いません。それは、もはや仕方がないことです。けれども地面だけはそこに住む人から取り上げないでもらいたい。地面はみんなのもの、それはル・コルビュジエがいっていることです。今さら、それをいうのは恥ずかしいことですが、いわなくてはいけないと思っています。不動産業がつくりだす、目先の面白さや新しさ、そんなものは違うのだと。われわれが欲しているものはもっとつまらないものかもしれないけれども価値のある街、価値のある空間なのだと。そういう話をもっとした方がいいのではないかと思い、「つまらなくて価値のあるもの」という文章を書いたのです。
時間というのは、地面の上に降り積もるものです。ですから、語られるべきは地面です。空中はマネーゲームに明け渡しても構いません。それは、もはや仕方がないことです。けれども地面だけはそこに住む人から取り上げないでもらいたい。地面はみんなのもの、それはル・コルビュジエがいっていることです。今さら、それをいうのは恥ずかしいことですが、いわなくてはいけないと思っています。不動産業がつくりだす、目先の面白さや新しさ、そんなものは違うのだと。われわれが欲しているものはもっとつまらないものかもしれないけれども価値のある街、価値のある空間なのだと。そういう話をもっとした方がいいのではないかと思い、「つまらなくて価値のあるもの」という文章を書いたのです。