アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
三代続く陶芸家の住まいです。もともとは亡くなられた中村梅山さんという大変高名な陶芸家のお宅だったのですが、その一部を残し、中村錦平さん、卓夫さん、康平さんという三人の息子さんの住まいとしました。残した建物というのは、庭に面した居間で、大変素晴らしいものです。それこそ、つまらなくて価値のあるものです。真ん中にその居間を残して、左右に康平さんと卓夫さんの家を建てています。
居間をどうやって残すかということをさんざん考えた結果、基本的には鉄骨の建家の中に、もう一度組み立てるという方法を採りました。居間の部材を解体して取っておき、大工さんに再現してもらっています。僕がもっとも腐心したことは、ここからどうやって庭を見るか、この中の空気をどうやって残せるかということです。梅山さんは、金沢の昔の贅沢をすべてご存知の方です。質素な生活をされていた方なので、使われている材料はごく当たり前のものです。京都の人が見たら、何でこんな安い材料を使っているのかと思うでしょう。けれども、そのプロポーションはものすごくいいのです。
プロポーションがいいっていうのは、こういうことかと思えるくらい心地がいいのです。素晴らしい居間や茶室を知り尽くしていたということでしょう。柱や鴨居のディテールも、特別な、奇をてらったものではありませんが、素晴らしい。こういったことは写真でも伝えられないし、言葉でも伝えられません。多少面白みに欠けるものではありますが、そこに大切なことがあるように思います。
これはマンションの改装です。室内の壁や天井に貼ってあるプラスターボードやビニールクロスをはがして、部屋をつくりました。これは実に落ち着く部屋です。はがして、もともとそこにあったものを見せた以外に、特別なことは何もやっていません。
壁に草間彌生さんのカボチャの絵と、中川幸夫さんの素晴らしい書が掛けられています。そういう第一級のアートが掛かっているにもかかわらず、壁が全然負けていません。ちゃんと対等に渡り合っています。それがこの小さな空間のよいところです。ビニールクロスを貼るといった不動産業者のいうマンションの価値観では、アート作品に対抗できないんですね。対抗するためには、むしろ、ありのままでいいじゃないか、それが僕がこの部屋で思ったことです。大工さんが描いた墨の文字もすべて残しました。アルミサッシが入っていた開口部まわりの仕上げ枠もはがしてしまいました。簡単な建具を置くだけの開口部に替えてしまいましたが、非常に綺麗な光が入ってきます。当然コンクリートの壁と建具がうまく納まっていませんから、中から見るとその隙間が光で縁取られます。偶然そうなったのですが、うまいこといったなと思います。家具だけはビルトインしましたが、手を加えたのは最小限です。
『新建築』誌に「つまらなく価値のあるもの」という文章を書きましたが、その時に発表したのが、ちひろ美術館の東京館です。ちひろ美術館とは、安曇野につくって以来のお付き合いになります。1996年に安曇野に竣工し、その後、2001年に安曇野に新館が、そしてこのたび東京館が竣工しました。東京館は、もともと練馬のこの場所にあった、ちひろさんの自宅を没後の1978年に美術館としてオープンしたもので、息子さんの松本猛さんがその運営に当っています。ですから東京館の相談を受けた時、建物は竣工後すでに20年を経過していました。しかも、必要に応じて増改築を繰り返してきたのです。当初、美術館からは、既存の建物を半分ほど残して、建て替えたいという要望がありました。しかし、僕は、増築に増築を重ねたその建物が面白いと思っていましたので、壊さずに、できるだけ改修でやった方がいいのではないかと提案したのです。本来、建築家というのは、建て替えて新しくしましょうというのが常なのだと思います。ただ、僕は、そこで育まれてきたものを何とか次の時代に受け渡していくことが重要であり、新しい世紀の新しい考え方なのではないかと思っています。確かに、新しく空間をつくれば便利にはなるかもしれません。しかし、そこで時計をゼロに巻き戻して、そこから新たに時間を刻んでいくよりは、それまで刻まれてきた時間を、全部とはいわないまでも少しでも伝えていくことの方がよほど大事に思えるのです。
そういうわけで、増築の方向で一年ほど設計を進めました。設計を進めるにあたり、現状を模型にしようとしたのですが、増築を繰り返したため図面が読み切れず、製作に三ヵ月かかりました。迷路状に入り組んだ大変複雑な建物だったのです。そうこうしているうちに、美術館側から、バリアフリーにしたいとか、イベントのスペースが必要だとかいう要望があり、また耐震性の問題やいろいろなことが重なって、結局は壊すことになりました。実に惜しいことだと思います。しかし、壊すにしても、何らかの形で以前の建物の記憶のようなものを残したいと考えました。僕はどちらかというとスタティックに建物を設計するタイプの建築家です。物事をきれいに整理して再構成します。
でも、もともとあった美術館は、スタティックというより、むしろばらけていることが特徴です。であれば、そういう記憶を継承できるようにつくってやろうと考えました。大切なことは形の主義主張を通すことではなくて、どうやって記憶をつないでいけるか、時間を受け渡していけるかということです。そこで、クライアントの要望とも付き合わせて、中庭の空間であるとか、建物と建物の関係性であるとかを整理し、記憶を拾うようにしながら再構成していったのです。
構造的には、一階部分が鉄骨鉄筋コンクリート、二階が鉄骨造になっています。隣接する住宅地がせまっていますので、建物の外側をしっかりとした壁で囲いたかったことと、地盤条件がそれほどよくないので、上の方を軽くする必要があったことから、このような構造になりました。一階を鉄筋コンクリートではなく鉄骨鉄筋コンクリートとしたことを、多くの方は奇妙に思われるかもしれません。これは、構造計画を担当したエンジニアの岡村仁さんのアイデアで、鉄骨の建て方を先にやってしまった結果です。敷地が狭いこともあって、鉄骨の建て方を一気にやって、コンクリートにするところだけあとから打設をするという方法です。
外壁の色は、実際の建物を見ない限り、なかなか伝わらないものですが、ここで用いた色は大成功だったと思っています。赤に近い錆色ですが、光によって少しピンクがかって見えたりもします。光によって色がものすごく変わるのです。正面に見た時と、斜めに見た時とでは色に変化が見られます。色は、松本猛さんと館長の黒柳徹子さんと一緒に決めたのですが、実に微妙な色で、うまくいきました。いわさきちひろという、ややスイートな絵描きの美術館として、どんな色がいいかと思っていたのですが、僕も納得できて来られた方も感情移入できる、うまい色になったのではないかなと思います。ですから、ここに行かれたら外壁の色をぜひ見て下さい。構成として考えたことは、一階部分をオープンにし、二階・三階にファンクショナルな部分をしまい込むということです。ですから一階部分は展示室やイベントホールが、中庭を介して向き合うようになっています。展示室を三角形にすることに対しては、当初かなり心配をしました。美術館の展示室の形状としては、マルチユースな四角が望まれますので、三角形の展示室が本当に成り立つのか、かなり迷うところがありました。結果、あまり大きくないスペースですが、うまくいっているようです。二階の展示室は、斜線制限の関係で、天井高の一番低いところが1メートル90センチくらいです。いくぶん低めではありますが、展示室の体裁はうまく整えられたと思っています。ちなみにこの美術館はオープンしてからニヵ月で三万人の来場者がありました。建て替える前の五倍くらいの入館者があったということで、その成功を喜んでいます。