アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
建築の規模についても議論されなければいけません。今、国は法改正などを図りながら、市街地の活性化を進めています。都市再生の名の下、いろんなプロジェクトが立ち上がり、その結果、東京には超高層が次々と建ち上がっています。この状況を、僕はやはりおかしいと思うのです。バブルの頃、多くの人は、当時の状況をちょっとおかしいと思いつつも批判をしませんでした。しかし、今、僕は超高層批判をやらなくてはいけないと思うのです。
超高層というのは一見、目覚ましい。そして分かりやすく、面白い。そういうものです。つまり、空間価値を捏造しやすい対象なのです。不動産業というのは、基本的に空間に価値を捏造して、それをできるだけ高い貨幣価値に換える事業です。それ自体を批判するつもりはありませんが、今の超高層ビルがどんどん立ち上がる状況は、単なるマネーゲームに過ぎません。土地の上になるべく高い空間価値を捏造し、そこに非常に短期的なマネーゲームを仕掛ける、ということに尽きると思います。本当にそれでいいのか、それが本当にみんなが望んだ都市再生なのかと建築家が問わなくてはいけないのです。建築と都市と土木とあると、本来人間の生活の目線に一番近いのは建築なのです。
ですから建築が普通の人の目線から本当にいいのかという声を上げなくてはいけないのですが、どうも元気がない。これだけのことが起 きているのに論ずる人がいない。やはり論ずるべきだと僕は思います。若い人から年輩の方まで、今のような都市再生で本当にいいのかということを論ずるべきだと思います。そこで僕は「空間価値」ではなくて、「時間」についてお話ししようと思います。
時間というのは、地面の上に降り積もるものです。ですから、語られるべきは地面です。空中はマネーゲームに明け渡しても構いません。それは、もはや仕方がないことです。けれども地面だけはそこに住む人から取り上げないでもらいたい。地面はみんなのもの、それはル・コルビュジエがいっていることです。今さら、それをいうのは恥ずかしいことですが、いわなくてはいけないと思っています。不動産業がつくりだす、目先の面白さや新しさ、そんなものは違うのだと。われわれが欲しているものはもっとつまらないものかもしれないけれども価値のある街、価値のある空間なのだと。そういう話をもっとした方がいいのではないかと思い、「つまらなくて価値のあるもの」という文章を書いたのです。