アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
大阪の僕の両親の家です。二期まで完成すると50メートルの長さがある「黒」と「白」の家です。北東側には学生時代にはじめて設計した氷室アパートメントが建っています。
ものをいっぱいもっている人たちなので、小部屋がたくさんある半分は倉庫みたいな家にしました。「白」の部分を端から端まで行って、「黒」の部分を通って帰ってくると、だいたい60メートルです。プランは日本的な状況を反映しているものです。僕は東京に住んでいますから、大阪の、しかも都心からは遠い家までしょっちゅう両親の面倒を見に行くわけにはいきません。
でも、ふたりだけで住んで、ともに動けなくなってしまったらまずい。だから、誰でも転がり込んできて住むことのできるグループホームのような家をつくっておくことは、意味があるのではないかと考えたのです。妹ふたりも結婚していて子どももいるので、そういう人たちが帰ってきてもいいし、ひとり暮しをしている叔母が住んでも構わない。家のいろいろなところから入れるようになっていて、なおかつ長さが30メートルもあれば、一時期、離れて暮していた人たちや、あるいはまったくの他人と一緒に住んでも煩わしさはないのではないかと考えました。
ハノイのプロジェクトで60メートルや80メートルの長さを見ていたので、50メートルぐらいはどうってことないと思ったのです。でもハノイの仕事をしていなかったら、さすがにこんなに長いのはまずいと思ったかもしれません。とはいえ一直線だと単純すぎるので、ちょっと曲げることを考えました。一期にできる30メートルの長さのもので微調整しました。直線になっているよりも、見えそうで見えない部分があるはうが人はそっちへ行きたくなります。なまじ30メートルが見通せてしまうと、覗き込むだけで中の様子がわかってしまって、足を向けてもらえなくなりますので、先が微妙に見えず、ついつい奥へと入ってしまうような設えにしています。その加減は光と角度でコントロールしました。
ものすごくローコストなので、できるだけ単純につくっています。身内のプロジェクトだと予算がオーバーした分を自分で責任をもたないといけませんから、外断熱とペアガラスも施して、引越した途端に体調が悪くなったといわれないように真面目にやりました。お金をかけずに床を暖かくするために対流式床暖房を使っています。古い井戸も保存して中央に配しています。片側は小部屋がいっぱいあって、全部引き戸になっています。普段、ものすごくものが溢れていても、いざというときはぱっと片づけられる家になっています。
住宅は「黒」と「白」が半々になっていれば快適だと思います。僕らに住宅を依頼してきてくれる人は、真っ白なギャラリーみたいなスペースに憧れている人だと思いますが、だからといって本当にそうつくってしまうと、ものの収納などの現実に対応しきれなくなります。でもだからといって、キッチンをこうしたい、バスルームをこうしたいという話ばかりしていても快適にはなりません。ひとつずつの場所は理想のスペースになるかもしれませんが、余白みたいなものがないと最初に想定した状態に住んでいる人が縛られてしまうと思います。おおよそ体積で半々ぐらいにすればうまくバランスが取れていいのではないかと思っています。
畳の部屋は伝統的には布団を敷くと寝室で、卓袱台を置くと食堂ですから「白」の空間の典型なのですが、ここは仏間的な意味なので「黒」の空間です。「黒」の空間は連続していて、道のように通り抜けられるので、表側でお客さんがいても裏動線が確保されます。空間と空間の接続の仕方を任意に切り替えられるようにつくることで、グループホームや幼稚園のような使い方もできる家になるのではないかと思います。