アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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長谷川 逸子 - アーバンスピリット
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東西アスファルト事業協同組合講演会

アーバンスピリット

長谷川 逸子 - 長谷川 逸子・建築計画工房ITSUKO HASEGAWA


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建築にアマチュアイズムを

昔、江の島でヨットなんかに乗っていたときに、湘南というのはとてもいい町だと思っていました。コンペのときにそこへ電車で出向いて、かつて田畑だったところにアパートが建ち並んでいる光景を見て、非常に驚いたわけです。こういうことをストップしたいなあという気がありまして、私はもっとそれとは違う特異なものを埋め込んで、そのことによって新しい何かを生み出して、そしてその町の特徴となるようなものをつくろうと、そのときとっさに思ったわけです。これは大変な作業だということは初めから承知だったんですけれども、とにかく頭の中にはそういうことが浮かぴました。「自然」というものをテーマにしていかなければということも、そのときすぐ浮かぴ上がったんです。

藤沢は、人々が本当に生活をしているために、人が大変生き生きしているように思います。本当は、政治も経済も建築をつくることも生活を豊かにするためにあるはずなのに、東京ではそういうことを語ることは、どうもないような感じがするんです。都市というのも、そういう人たちがいて、その上にさらに文化的なこと、商業的なこと、新しいこととかが重なっていって初めて都市があるので、人々が住んでいないところを都市といえるんだろうかと思うわけです。

私のおばの友人で、やはり八十何歳で港区麻布に住んでいて、自分の住んでいる何十坪かの家では、息子たちは狭いといって郊外のマンションに引っ越してしまった。それが突然、一○億円で売れるというのです。息子たちは「売ってしまえ」というのでトラブルが絶えない。「私はどうしてもここで死にたい。自分たちが住んでいるからこの町はあるんだ」と一生懸命主張して、「いままで住んでいる人も住みながら、インテリジェント・ビルディングでも何でも建てるようなことを、区に提案してくれないかね」と、私に叫ぴに来ました。

どなたかがとんでもない提案をしていました。東京都の真ん中はすべてインテリジェント・ビルディングにする。家族の女・子供や老人は長野とか山梨などの田園の中に広々と住まわせて、仕事をする男性だけは荷物と一緒に宅急便で東京に送られて、インテリジェント・ビルディングの上の階の単身用アパートでウイークデーは過ごすというようなことを。冗談じゃない、女も子供も町にいたいし、男性も田園で生活したい人はいるわけで、ホワイトカラーの人だけで東京の真ん中が埋まったら、生活ではなくビジネスロボットの男性がいるだけになって、町は滅んでしまった状態になるのは目に見えているわけです。そういうことをすごくすばらしいようにいう人が東京にいっぱいいて、しょっちゅう耳にするわけです。困ったことです。

都市は一体これからどうあるべきかと考えるとき、そのおばあさんが叫ぶように、いろいろな人がいていろいろな考えで住み、働き、生きていける、そんな立体構造の都市ができたらすばらしいことだけど、これほど地価が高くて密集していたら、すぐにそうはいきそうもなくて、いちばんすぐ楽にいくのはオフィスビルが建つことらしく、そのことが大急ぎで動いているわけです。

そんな中で思うのは、人目が一○万人以下の地方都市に行きますと、日本にはまだまだビルディングが建っていない町がたくさんあるんですね。そして地味に昔ながらの生活をしている。私は建築家として、そういうところに新しい町をゆっくりとつくりたい。人々が生活をしている、職場も近くてレクリエーションの場所も近い、そういう創造都市というか、レクリエーション都市みたいなものを腰をすえて考えるのがいいんじやないかなとこのごろ思っています。本当の都市というのはどうやらそういうものではないかなと、東京の真っただ中に住みながら思うわけです。

私はさきごろ北欧をいくつか回ってきました。人の前で自分の建築のことを話すと、どうもてれくさくてたまらないのですが、それが北欧に行ったときにはとても話しよかったという感覚が残っています。

ヘルシンキでは、スチール・コンストラクション・ワーカーズという、鉄鋼組合のようなところのフェスティバルのメインレクチャーに呼ばれたんです。外務省からそういう仕事の話があったとき、「なぜ大手の建設会社の設計部の超高層を設計している人が呼ばれなくて、私ですか」と何度も聞いたのですが、「理由はわからない」ということでした。私なりに考えて、なるべく小さな住宅規模の作品のスライドを持っていきました。

北欧の伝統住宅は壁構造的に木を重ねていく丸太構造のものです。日本はスレンダーな柱と梁をラーメン構造で組んでいる地域に属していて、その構造によって自然と融合する大きな開口部だとか、あるいはその間を土とか断熱性のよいものでインシュレーションできるような住宅を伝統的につくってきた。そういう伝統的な形式のものに、スチールは大変置き換えやすかったんだろう、そのために現在のカタログハウスも軽量鉄骨のものがたくさんあると実例を出して話しました。

さらに、地球にはいろいろな地域があって、それぞれの気候を持っている。さらにひとつの敷地にはその敷地が持っている特異性があるわけですが、とにかくそれぞれのところにそれぞれの住居があるように、私はその個別性を大切にする感覚でつくっている。これまでつくられてきた環境を既成の地形と考えて、その上にその風土に合った新しい感覚を持ったさわやかな風景を重ねてゆくような方法で私はやっているのだというようなことを、私の住宅設計のスライドと合わせて見てもらいながら、レクチャーをやったわけです。

大変立派な会社の面々の前でやるわけですから、非常に不安でした。直径が一○○メートル以上もある競技場をつくって、その中にらせん状のランニングコースがあるような体育館の構造設計をしている構造設計家とか、あるいは非常に複雑なフォルムの構造計算をやっている方々のレクチャーが後に控えていましたので……。

フィンランドに限らず、ノルウェーでもデンマークでもそうでしたが、プロテスタントの国では、早やぱやと女性が解放されて働いているわけです。こういう会場にも必ず女性が多勢いらっしゃる。働くことは生活を豊かにするためと考えているこのような国では建築においてもアマチュアイズムが通る国なんです。私たちの国やヨーロッパのカソリックの国は男性中心の社会です。

北欧では、非常にアマチュア的なこと、普通の人の感性というものを導入しながらやっている社会だし、政治も女性の政治家が三分の一いる国ですから、違和感もなく住宅の話を聞いてくださる。そして、私の「新しい自然を求めて」というテーマも、近代建築が落としてきたものだということで同意を得ることができ、非常に話しやすいところでした。

私は建築をつくりながら、それがその地域の特徴となって、さらにそれを通して文化が生まれ、建築とその土地にある、地についた文化とが何とかつながっていくようなものにしたいと考えています。さらにその地域の活性化に役立ちたいとも思っているわけです。そういうことや、あるいは自分が考えてきたコンセプトをみんなに共有してほしかったのです。一人でつくっているのではなくて、みんながそのことを知って確認し合うようなことが必要だと思っています。

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