アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
「練馬の住宅」です。右半分に夫婦が住んでいて、左側には、独身の娘さんが住むという家です。道路レベルから住居部分はニメートルぐらい上がっているわけです。その上に二層分の母屋と、一層分の娘さんの家が載っています。
法律的に、区役所で一軒の家としてつなげる指導を得てこの立面ができ上りました。階段を上がったところに外室みたいなものを用意して、さらにその上に月見台があります。、池袋から新宿にかけて一望のもとに見えます。
この外室は洗濯場になったり、ちょっとした外の作業をしたりしているようです。インテリアは不思議なものですけれども、パッシブソーラールームみたいなサンルームが前面についています。パッシブソーラーのための部屋は、夏になると全部建具が開いてしまってひさしの空間というか、外になってしまいます。そして冬になると地面からのキャンティレバーのコンクリートの壁とかコンクリートブロックの床とか、そういうもので蓄熱して、その空気を中に流します。冬になるとそういう膜がかけられるようになっていまして、とにかくパッシブソーラールームと呼んでいまして、こういう部分をこのごろよくつくっております。
東京の「東玉川の住宅」という作品です。世田谷にあるんですが、周辺は肉屋さんがあったり、この角にはモーターをバンバンやっている家具屋さんがあって、そしてクリーニング屋さんが向こうにあってというように、住宅地から環八に出る途中の商店街の近くにあります。そんな環境の中に専用住宅があって、それをまた専用住宅化したい。どうしたらそういういろいろな騷音の中から自分たちの空間を確保できるか。東京で外部を気にしないで、自由に自分の内なる空間を埋め込めるようにしたいというのが、持ち込まれたテーマだったのです。
二方道路の東南の角にあるのですが、この道路側に二層分ぐらいのコンクリートの塀を建てることというのが、クライアントの当初設計のときの意向だったのです。私は、そんな高い壁を建てたらまわりに迷惑ではないかと話していって、それを一層分というか、それより以下ぐらいにしました。そしてパンチングメタルでコンクリートの上をぐるりと取り巻いています。パンチングメタルの内側には庭園をつくる。空中を庭園にしているわけです。この庭園に面した寝室部分は木造です。
一階の部分は、中庭を囲んで部屋を配する形式になっています。エントランスを入りますと、右のほうにゲストルームとか書斎とかがあって、通路を通っていくとシャワールームとか水回りがあります。エントランスの右手では、軽くパンチングメタルのパ−ティションで、エアコンが大変だというので、あちこちちょっとした軽い仕切りが入っています。左手にはファミリールームというリビングルームがあって、ダイニング、バー、キッチンとつづき、そして勝手口があってというように、円形の中庭を中心にして、まわりが全部ワンルームになっています。構造的には、一階はコンクリート造なんですが、スラブを支えるためにサッシュと一緒に鉄骨の柱を建てています。この鉄骨の柱が向こう側の視線を適当にさえぎってくれるために、視線的にはぶつからずに、うまくいっています。
地下はパーキングとリスニングルームになっています。そこへ行く階段にもパンチングメタルのパーティションをつくっています。
建築学会賞をいただいた「眉山ホール」です。静岡市内の商業地域に建っています。商業地域ですが、周辺はまだ戦後の古い民家のままなわけです。ひとつの町の区画の中を民家がずうっと取り巻いていて、道路に接しているのはエントランス部分のほんの少しだけという敷地です。中は正方形っぽいかっこうをしていて、その真ん中の空き地に建てました。
この建物を建てるに当たっての、周辺の住民からの要求は大変なものでした。いちばん大きなことは、女学生の声は高いので窓を開けられないことと、日蔭になってはいけないという北側の人たちの要求で、二層の建物にということでした。
敷地はほとんど真四角で、その中に真っ直ぐに入れますと、建物のまわりにニメートル少しの空地ができるだけなんです。どうもこのボリュームをそのまま地面に置くと風通しが悪そうだなと思って、少し角度を振ったんです。ですから東西南北に三角形の庭が残っている。そこにちょっとその庭を見るようなかたちで茶室を兼ねた和室などを配置しています。
「窓を開けてはいけない」という条件から発想して「光と風を取り込む」簡単な装置の小屋根がたくさんつくような建物になったわけです。中庭も採光と通風のためにつくりました。
話していると非常に機能的につくったようになるわけですが、機能的にやっていってもこんな造形になっている。当初考えていたのはもっと複雑なことだったんですが、単純なものを複合していって、非常に複雑なるものに変えたという感じがします。
トップライトは地震があったら困るので、飛ばないようにアルミのパンチングメタルを張るというような方法になりました。まさにパンチングメタルの粒々の光だらけの建物です。
完成してしばらくたったときに渡辺豊和さんをご案内しましたら、ただただ「何でこんなに明るいんだ。あまりにも明るい」と叫んで帰られたのを、いまでも覚えております。
「眉山ホール」以後、小屋根を持つ住宅群というのをずうっとエスキースしていました。つまり三メートルぐらいのできるだけ合理的につくった小屋ハットを集落のように重ねていく。
そういうものの一つとして「熊本の住宅」ができました。でも、ここの敷地は三○○坪もあったんです。この大きな敷地をどうやって生かしたらいいかと思っているうちに、この敷地伝いに両翼に広がるプランをつくることになりました。ドイツの雑誌なんかでは「バタフライハウス」って呼ばれています。
小屋根群が並んでいまして、それをつなげる大きなスペースを取っているわけです。これもパッシブソーラールームといっています。一つずつの部屋の仕切りは格子のガラス戸が入ったもので、そこのところだけエアコンしていまして、この部分も夏になると全部オープンにして、ひさしの空間になるわけです。藤棚があって値物の日蔭をつくっています。そして同じように冬は蓄熱室で、夏は外部のような部屋になっているパッシブルームです。