アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
これがポスターにもなりましたが、実は大阪港の堺のプロジェクトです。約470ヘクタールほどの敷地に何を計画すればいいかというところから計画をするプロジェクトでして、このコンセプトプランナーが青木さんとおっしゃる方ですごい面白い人で、その人と組んでいくつかコンセプトを出してプロジェクトをまとめています。このときに不連続という言葉が出てきた。その不連続の前にあるのが不均質という言葉で、結局世界の近代都市計画によってつくられてきた都市が、ある意味では不毛であったとしたなら、それは物事をすべて均質なものとして捉えているからじゃないかというふうに考えたわけです。ここの場所は海に接している。これがすごく面白いわけですね。僕は都市が面白くなるためには、これからは海沿い、川沿い、緑沿いと、ここをうまいことつかうことに尽きると思っています。今まで世界で18世紀を代表してロンドン、19世紀を代表してパリ、20世紀を代表してニューヨークとしますと、それぞれがものすごく明確な論理に導かれた均質な都市だったと思うんです。それは人間の手による理性、人工アーティフィッシャルということについてはものすごい信頼をおいたもので、人間の手によってつくられた都市の代表がロンドン、パリ、ニューヨークのようなものであったとするならば、東京というのはほとんど都市と呼べるようなものじゃなくて、それに比べると僕は大阪のほうがよっぽど都市空間というものがつくられていると思っています。ただ東京が偉大なる田舎であるだけに面白い。ウォーターフロントが非常に多くて川が何本も流れています。これは大阪も同じですが大阪の場合は川をつぶしてますから難しいところがありますけれど、東京は水辺がそのままでこれから開発を待っている場合が多い。それから緑がけっこう豊富です。なにしろど真中に巨大な手付かずの緑がありますし、その他にもいっぱい緑があって、その海沿い、川沿い、緑沿いに何かしら異界、計画論的なものが取り落としていたような人間がもっている非合理性とか矛盾をちゃんとすくい取ってやれるような都市空間というもの、それが僕は創造力を喚起する場所だと思っています。巧く計画されていくと、東京なんかはひょっとすると不均質というものをベースにした初めての都市像ができるかも知れません。
初めてといったのは近代の話で、中世においては、たとえばカフカの城は、チェコのプラハをベースにしていますが、東ヨーロッパのプラハとかブダペストは高い町と低い町、聖なる場所と俗なる場所というのがすごく明確に分かれて、それが不均質に独自の中心をもっていた都市です。それをもっと現代的に、単なる二元論ではなくもっとプルーラルに不均質な場所が持っている。人間の単なる頭脳を超えたような力を引っ張り出せるような仕組みを、しかしながら人間の頭脳で考えられへんかなということで、このプロジェクトは始まりまして、見てもらうとわかるようにこれは丘です。 だいたい150メートルくらいの高さがありまして、150メートルというのはパリのモンマルトルの丘が130メートルですので、それよりちょっと高いぐらい。この丘をつくろうというのは、大阪のシンボルが希薄やな、天保山だったらちょっとしょぼいかな、いろいろ考えるところがありました。東京にもあまりないのですが、ニューヨークには自由の女神がありますし、リオ・デ・ジャネイロには丘の上に手を広げた神様がいてますし、サンフランシスコにはゴールデンゲートブリッジがありますが、大阪港にはなにがあるか、ないのなるシンボルをつくろう。そのためにはせっかく不均質で面白くなる可能性のある水場があって、さらに面白くするためには、埋立地がつまらないのは地盤が弱いということもありますが、地形に高い低いがないことだと思いまして丘をつくろうしました。丘の上に何かこう、これはひとつの提案ですから極端なことをやっていますが、たとえばアクロポリスみたいなのをつくってやろうとアクロポリスをつくっているわけです。丘の上は聖なる場所で、こういう聖なる場所があって下の町が初めて活気づく。この下の町にはいくつかのプログラムを付与していまして、映画スタジオの案とか、インターナショナル・レジデンシャルゾーン、関西新空港が24時間態勢でつくられるのをうけて世界中の人びとが集まってくるだろうと、その人のために高度にセキュリティを保証しサービス、コンビニエンスを保証した町をつくってみようというのもあります。あるいはホテルゾーンをつくってみよう。それからここには芸術大学をつくろうとか。そういういくつかのプログラムを与えてそこに形式を考える。この場合は丘をつくること、それからここに列柱状になっていますが壁をつくること、それから新都市交通システムとか。ちょっと見えにくいですがロープウェイが走っている。こういうふうにオブスタクル、障壁になるようなもの、邪魔になるようなもの。邪魔っけなものをつくることで初めて人間というのは自由を認識できるんじゃないかというような仮説をたてまして、邪魔っけなものを手掛かりに町の基本構造をつくる。邪魔っけなものとそこに生まれるさまざまなアクティビティとの関わりを見いだすことはどういうことだろうかと考えていました。
今ギャラリー・間ではベルナール・チュミの展覧会が開かれていますが、チュミと食事をする機会がありまして話をしていますと、チュミはプログラミングということをいっています。簡単にいうとクロスプログラミングというのはひとつの容器があってその中身を別の中身に入れ替えることで、トランスプログラミングというのは、ふたつのワンセットになった中身と外身を無作為にぶつけあってみようということで、ディスプログラミングというのはぶつけあったものをさらに中身を入れ替えたり、別のものを入れたりしてやろうということなんですが、そのプログラミングという言葉の向こうに、必ずチュミはコンフィギュレーションという言葉を使っている。これは僕がいつも考えている形式ということに非常に近いんじゃないかなと思って、その話をしていたのですが、プログラムを詰めることは建築を考える上で当然のことで、コンペはプログラムがいかに見事に解けるかということが勝負でして、ただ建築家の役割というのはそういうふうに解いたプログラムにいかなるコンフィギュレーションを与えるかに尽きると思っています。その話に答えて、チュミもそうだといっていたのですが、このときはそのコンフィギュレーションとしてプログラムをもっと投げやりに扱いました。結局プログラムが何も決まってないわけですからコンフィギュレーションだけを与えて、そこのアクティビティを期待したのです。ただそのアクティビティを導き出すくらいの強いコンフィギュレーションを与えてやろうと思って、高い丘や壁、それらを横断する交通線とかそういったものを考えていったプロジェクトです。