アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
これがさっきのキラー通り沿いの建物の屋上部分の模型です。最近ほとんどの建物のてっぺんにアンフィシアターを乗せるということをやってまして、大きな階段の変形なんですが、ひとびとが集まる場所、出会いの場所をつくることが僕は建築のひとつの役割だと思っているわけです。出会いの場所というのは共同体ということをさっきいいましたが、大なり小なり建築は共同体の表現であらざるを得なくて、つまりものすごい強大な権力をもつ王様がいたときは奴隷を使ってでもピラミッドだとかいろんなものができるわけです。偉大な建築には強大な権力が必要だというのが歴史のジレンマで、だからファシズム建築は魅力的なのですが、歴史の中で偉大な建築といわれているもののほとんどが人間の存在を越えているものに対して捧げられたものです。ピラミッドは王様のお墓ですし、パルテノンはギリシャの神々に捧げられているものですし、カセドラルは聖母マリアに捧げられているものです。がそこに成立した建築の形式は、カトリックではない人ひとが訪れても感動するわけですし、パルテノンが素晴らしいと思うのはギリシャの神々の徳が素晴らしいからではなしですし、ピラミッドに圧倒的なパワーを感じるのは王様が偉かったからではない。つまり王様のお墓だから感動するわけではないし、神様の神殿だから、あるいは神様を祭っているから感動するわけでもなくて、空間の形態そのものにわれわれは感動して偉大な建築だというわけですね。
それは先ほどのプログラムとコンフィギュレーションの話と関わるのですが、プログラムを詰めて建築はできますけれど、プログラムを捨てたときにその真価が初めて分かるのだといっていいのではないかと思います。ただ、その建築を実現するときは、やっぱりものすごい強大な権力とお金と労力がかかりますから、それをまとめるためには人びとが心をひとつにせんとしゃあないわけですね。心をひとつにする契機というのが、ある種の共同体のモニュメントであるという意識だと思います。その共同体がいろんな形であり得たのですが、古代ギリシャでは一応奴隷制があったということではあるいにせよ、市民が自由に政治を語るとか演劇を楽しむというちょっと理想化され過ぎのところはありますが、古典復興と呼ばれたようにヨーロッパの中世を経てきた目からするとルネッサンスでは非常に高度な理想郷に見えたわけで、そういったときに築き上げられたコンフィギュレーション、建築の形式がこのアンコンフィギュレーションであったと思います。
ギリシャ人はクリミア半島とか中近東に植民都市をつくりましたが、そのときは必ず劇場と神殿をつくった。そういうギリシャ人のつくりあげた人びとの出会う場としてアンフィシアターを捉えれば現在ここで演劇が行なわれるか否かは別として、ある出会いの場のシンボルたり得るのではないかと踏んでいまして、最近は多くの場所に有効であると思ったときにアンフィシアターをつくるようにしています。
部分という意味ではこれもいかにも部分で、ふたつとも住宅なんですが、住宅でプログラムが満たされるべきところはすべてとっぱらってあります。これが熱海につくる別荘でが、こちらに道路があり、道路からブリッジを渡って建物の屋上に辿り着く。ここが崖になっていまして家は下にあります。屋上から下に入って生活する、普通のプログラムが成立する場所があるのですが、ここの計画のコンセプトは他社と出会う場所、ここであると、建物の屋上だけつくってあります。ブリッジと列柱と大きな階段、大きな壁を使ってアプローチをつくりました。
おそらく将来ここの住み手の家族構成が変わったりして、この下の部分はつくり替えられていくことも可能だと思っているのですが、この部分は残るのではないかと思います。というのは機能がないからです。
こちらは京都に計画している住宅ですが、道路がありまして階段を登って入っていく、」湿地が湿っぽいとかの鴨川沿いのコンテクストを読み込んで建物の2階部分にメインのフロアーをつくればいいと思いました。この壁がパブリックとプライベートを、この壁が外と内とを分けると考えています。これをコンクリートでつくり、うわものの生活空間は木造でつくっていく。そのように住み手の要求に応える部分はフレキシブルに考え、それを支える部分をコンファームとしていくということを計画しています。おそらくこれがあとあとまで人びとの記憶に残るとしたら、こういう形で残るのではないかと僕は思っています。つまり廃虚になったときにどのように残るかを思っています。
これがキラープロジェクトのコンセプトモデルと部分模型です。これはメインエントランスを入ったところが吹抜けで、吹抜けといってもどちらも屋外でこれは機能のないところだけをつくっています。40メートルに及ぶ塔が3本建っていまして、それに25メートルぐらいの高さの壁がもたれかかっています。壁にぼこぼこ穴があいているのでここは風も雨も抜けていくわけで、その中をブリッジが1本渡っていく。ここからここまで三層はフィットネスクラブで最上階にオフィスがありまして、この地下にはレストランとか物販が入るという複合の商業施設です。その全体のメインエントランスとしてこういう場所を構想しています。
先ほどのマンハッタン・トランスプランテーションが変化してきて、これが屋上の部分で、これは1階のパブリックゾーンの部分ですが、エントランスとミーティングルームとかコンファレンスホールがある場所です。結局部分空間を取り出して、それらの連結でもって全体像が捉えられる建築のつくり方をしています。全体像でばしっとシャープに、この形というふうに出たときは、まあよく出てくるのですが、D-HOTELとかOXYはこの形でつくった例です。もう少し規模が大きくなるとそういうつくり方をすると、ただのでっかい彫刻みたいになってしまう感じがあるので、形としてはシンプルな方がいいと思っているんですが読み取りがなるべく複雑である方がいいです。そのために部分空間を取り出せれば部分空間で成立するような形を考えたいと思っています。
これがギャラリー・間の庭を借りてつくったインスタレーションで、4本の柱と壁とアンフィシアター。そのアンフィシアターを最初に大々的に使ってみたのが坂本龍馬記念館のコンペの応募案のときです。