アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
これが江ノ島プロジェクトと呼んでいるもので、片瀬海岸に計画しているやはりホテルです。この3つはお金を生む部分をとっぱらってただで入れる部分だけをレリーフモデルをつくっていくということをやっています。これを「パブリックな場所の構想」と呼んでいます。江ノ島のホテルにおいても120メートルの客室棟が中央に浮いていまして、2階、1階、地下1階というふうに階段を介して広場がつながり、この広場がに面してショップやフィットネスクラブが計画されています。ロビーとかバンケットルームとかホテルの人しか使われへん場所はここの下に全部埋もれています。
列柱や大階段やブリッジや塔といったものを関係の要素といい、それ自体は機能をもたないけれども何物かと何物かを関わらせるものであるとして、関係の場をつくっていこうと考えた一番最初の建物が、湘南台の文化センターのコンペの応募案だったと思います。ここでも大きな階段で地下に下りていって、子供文化センターに入る。こちらが市民センターでこれが市民ホール。市民という名がついているのでそれらに対して市民のひとつのシンボルであるアクロポリスのパルテノンのような形を与えるとか、水がずっと流れるのでここにローマの水道橋のようなものがあるとか。それからプラネタリウムがあって天への憧れを示すものでバベルの塔をつくるとか。子供会議室があるのでピラミッドパワーでいいアイデアが出るようにピラミッドをつくるとか、そういうことをいろいろ考えて形を決めていますが、先に形があったのではなくて途中で古典的な形がでてきたときからそれに理由付けをすることを考えながら計画していきました。
これは後ろですが、この計画でもやはりサーキュレーションというものに対する意識がすごく強くて、サーキュレーションをできるだけ露出して明解に動線を見せてやろうと。最上階にはやはりアンフィシアターがある。アンフィシアターというのは正式には円形劇場なんですが、一般には野外劇場はみんなアンフィシアターとアメリカではいっているので、ここには壇上の広場としてアンフィシアターをつくりました。この後コンペには必ず屋上にはアンフィシアターをつくるのが決まりになってきまして、その後、今は実作にもアンフィシアターをつくっています。
これが湘南台の後の第二国立劇場のコンペの応募案です。これでもプログラムに要求されていないもうひとつの劇場を屋上につくりまして、これが全体の構成の中心をなしています。このときは周囲が西新宿のとりとめのない町並みで隣にガスタンクがあったり小さなマンションがいっぱいあって、一般的な不連続な都市空間ですが、そこに何か非常に構築性の高いものをもっていきたい。ただ構築性の高いものが周囲のコンテクストに応じて微妙に秩序を逸脱していくというようなつくり方ができるとええんやないかなと思って、プログラムは大きなオペラハウスとミュージカルを中心とした中劇場と小劇場、それからバックスペースや研修施設なんですが、この敷地には猛烈に盛りだくさんで、大と中を上下に積むことによってパブリックゾーンを生み出すという考え方をとりました。
模型のことについていうならば、これは金属塗料というのを塗ってまして、鉛とかアルミ、ステンレス、スティールとかいろいろあるんです。それらを磨いていくのですごく手間がかかります。模型が今度はデザインを誘導するということもありまして、こういう真鍮の八角形の柱というのは、八角形の柱を鉛筆削りで先を尖らせて並べたらおもろいやろなというところからこのデザインが決まったようなところがあります。
これは愛知県民会館のコンペの応募案です。これも第二国立劇場以上に敷地に対してプログラムが過大で大ホールとコンサートホールと実験劇場と美術館と国際会議場というのを全部ひとつの建物に入れてしまうというえげつない建物ですが、これもできるだけパブリックゾーンをとりたいわけですね。ただそれを正直にやると全部ぼてーっと建ってしまうので、地下をうまいこと使うのと、後は建物全部を公園のようにしてしまおうと。建物を地形あるいは基礎と見たててその上に神殿をつくるというやり方は完全に手法の中に入っていましたから、確信犯で最初から大階段で上まで登る、そしててっぺんにアンフィシアターをつくる。見晴らし台をつくる、列柱で回りを囲むとかそういうことがあって、前のふたつのコンペに比べて非常に短期間でまとまりました。上下にやはりコンサートホールと大劇場を積層しています。
今まで見ていただいたコンペの三つの案は都立大学助教授の小林君と共同した計画で、共同の態勢に関しては基本的には非常に心を合わせてうまくやっているのですが、愛知のときはたとえば、だいたい僕がばあっと描いて彼とディスカッションをするという感じがありまして、ここの案に関しても二つ描きまして、こういうクロスペディメントの案と、それから大きなドーム状のものをカットした案。ドーム状のものをカットした案のほうが何となく今っぽいかなという感じが僕はあったんですが、小林君に見せたら迷わずこちらをとりまして、それではこれでいきましょうということですね。これはちょうど名古屋城と比例が揃っているという結果的な読み取りもできるようになっています。
これは小林君がアモルフから都立大学に移って、個人個人でコンペに応募するようになった最初のコンペで、世田谷区の宮之坂という駅のコンペの応募案です。これは駅の前の敷地に公民館みたいなものをつくるというプロジェクトで、公民館自体はバレーボールコートがあるとかミーティングルームがあるとか、そういった一般的なプログラムで小さい建物ですが、何となくそういうのってそれはそれでいいのですが、あまり発見的やないプログラムやなあっていう感じがありまして、鉄道の駅を全部つくり替えて2階にギャラリーをつくってしまう。世田谷線というのはチンチン電車で路面電車みたいなやつでして、そこの各駅に全部これをつくりましょうと提案しました。で、ここにそれらの全部の統括の事務所をつくって、メインのギャラリーをつくって、事務所をつくるというプログラムにない提案をしまして、都市に丘をつくる、大きな階段と列柱とブリッジと塔というものを使ってやりました。このときは小林君はまったく違った案を出したのですが、ふたりとも佳作に入りませんでした。これは要綱違反かも知れませんが今でもわりといいと思っていまして、チンチン電車の駅の改札口がちゃんとあるような駅ではないわけですから、駅自体がパブリックな場所になる可能性が非常に高いわけですよね。そういうところ、つまり各駅に市民のギャラリーをつくっていく。ここが世田谷という町の典型的な風景ですが、昔の川や用水を暗渠にしましてその上に緑道がつくられています。この緑道にメインのタワーは500メートルに1本づつぐらい。それぞれ水の塔とか風の塔とか光の塔とか。爽やかな名前を付けまして、夜にはイルミネーションが点々とついて緑のネットワークを示す。芸術のネットワークと緑のネットワークをつくっていって「文化と緑の世田谷」というふうにコピーライティングもしてみたのですが、字が小さくて読めなかったのかも知れなくて、橋にも棒にもかかりませんでした。えらいこのときは「やっぱ審査員があほやしゃあないな」と。
これはもう少し前に横浜に計画してました建物で、ファッションメーカーを想定してディベロッパーと組んで売り込みにいきました。これはファッションメーカーができるようなスタジオとブティックが入るようなプランニングです。ファッションメーカーってだいたい飲食店も手掛けてますからこちらには飲食店が入るように。 ちょうどフランス山公園の真向かいで元町の出口のところなので場所もいいです。こういうふうにやるといいですよと提案しました。 列柱と大きな壁と大階段とブリッジが無意識のうちに出ていますけれども、ここにサーキュレーションを全部とっていて、野外の場合はここがファッションショーの舞台になります。
これもその頃につくっています。この頃大きな階段に目覚めまして、ともかく階段ばかりつくっていました。強羅花壇と似ていますが大きな壁をつくって崖を塞ぎ止めています。こちらが横浜の山手の崖っぷちでこちらに横浜港が開けています。屋上が段状の広場になっていまして、横浜の町や港を一望の下に眺められるという計画です。これも残念ながら建ちませんでした。
これは横浜の港北ニュータウンです。コンピュータ会社の研究所として計画した建物で、階段がぐるっとウロボロスしているという計画です。この格好で基本設計ができたのですが、オーナーがこれを気に入り過ぎて、ここに本社を移したいということになり、結果的にこれはおじゃんになりました。本社をつくるにはこれでは面積が足りないので、容積をいっぱいに使った案をもうひとつ提出しまして、そちらのほうが建っています。来年の初めには完成するみたいです。
ここがエクゼクティブフロアで社長室とかレセプションホールとかをつくります。これはちょうど湘南台が終わって二国と並行して、二国が終わった後にまとめたプロジェクトです。
これが先程の、ブリッジを渡って屋上に入って、その下にプログラムがあるという崖っぷちの別荘です。