アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
これから実作をいくつか見てもらいます。これはMARUYO代官坂。ディベロッパーの本社ビルとしてつくったものです。1984年に完成しています。この頃は都市の断片性ということを非常に考えていまして、断片と断片との関係をどういうふうにつくり上げるかというおことに感心がありました。当初の計画としてはこれがプロムナードとして坂道沿いに伸びていくように計画されていたのですが、諸般の事情でここだけ建っています。
OXYとかD-HOTELは前面道路が非常に広いので大きなスケールをもってきたのですけれど、ここの建物は前面道路が6メートルくらいで人も車もゆっくり通る道ですので、スケールを分節してさまざまな材料を使っています。
OXYは1987年に完成しています。敷地を見たときに、都市の不連続点で非常に見通しのいい場所ですし、まわりに饒舌な建物が多かったのと、ここが交通量が激しいのと北東向きなのといろいろあって、あまり無条件に外に対して身を開くのははばかられましたので、ほとんど窓を取らずに壁だけをつくろうと思いまして、もっともシンボリックな機能をもっているプレスルームというプログラムだけにシンボリックな窓を開けました。
これが遠望です。こちらのほうが現実の町に溶け込んでいる感じがありまして、僕がこれを計画していたときはやはりこちらのほうの風景を思い描いていました。つまり隣の建物をよしと認めるわけやないけれど、町に建つ限りは連帯せんとしゃあないので、他の建物にある種の毅然とした態度を示しながら何となく馴染むというようなことができへんかなろ。
外に対しては非常に表現を抑えたので、内部に関してはいろいろ工夫をしましてガラスとかスティールとかさまざまなもので若干禁欲しながら饒舌しています。
これが空間としての最初の構想を一番よく現わしているもので、この建物には柱らしい柱はこの一本しかないんです。僕は構造的には薄肉ラーメン、薄肉壁床といいますけれども、ボイドスラブをつかったコンクリートのモノリシックな構造体がわりと好きです。というのは梁があまり好きじゃないので、柱梁の構造を避けてきたふうがあります。この建物でも柱を取らないでおこうと思ったのですが、どうも一本ぐらいないともちそうにない。じゃあおもいっきりシンボリックに建ててやろうということで、この建物では一本の柱がずっと地下から乃木坂の丘の上に30メートルの高さまで立ち上がって、そこに果実が実るような形で建物の機能がついていきますというストーリーを組み立てています。
一階はもともとミーティングスペースとかアートスペースと呼んでいたのですが、ディスプレイができるようなスペースで、ここでこのクライアントが町に情報を発信するんだと考えていました。ですから誰もがここに入ってこられるし何らかの情報が得られるというふうに考えていたのですが、オペレーションの問題などがうまくいかなくて、こんな都心の一等地に売り上げもないようなものをつくっておくのはもったいないやないかという社長の一言でもって喫茶店に変わりました。今は倉俣史朗さんのデザインによる喫茶店になっています。
この建物は敷地が60坪しかないのですが、60坪の中で前面道路が計画道路なので道路から4.5メートルぐらいセットバックせなあかん。実際建物が建てられる場所は40坪切ります。そういうところで何ができるかというと、これはあまりごちゃごちゃ饒舌しているとパワーが出えへんな。僕は強い建物をつくりたいと思っていますから我慢した方が強いかな、と他の表現を我慢して壁に絞ってやった。
ところがある日現場監督をして竣工間際なんですが、乃木坂の駅を出て地下鉄の出口から見上げるとここに大きな階段がありまして、これを基壇と見立ててその上に建っていると見れば非常にいいやないか。 これは先程のエロスとタナトスの話で、出会いの場というのはもちろん人と人が出会うのですが、人と物が出会うことを建築家は考えながら実際は物と物との出会い方しか図面を引くことはできないわけです。人がいっぱいおっても、人が消えた場面でも共に生きるというか新しい形で生きられるような建物でないとあかんと思っています。
これがD-HOTELです。場所が場所なのでいろいろ考えました。これも敷地が60坪で、OXYとほとんどコンテクストが近い。 OXYがファッションメーカーのオフィスとスタジオとプレスルームとブティックとバーという機能で、こちらはホテル。プログラムは非常に違いますがコンテクストが非常に近いので形が近くなったと考えています。前面道路が非常に広くて交通量が激しくて、回りの町にそれほど信頼がおけなくて、敷地が60坪で容積率が500%で角地で、あらゆる意味で近い。こちらにはOXYより、より大きな壁をつくって、町全体のゲートとして構想しよう。ここが何か西から渡ってくる大阪の新しい脈動を受けとめられるものになればいいなと。僕は自分が考えている建物が短くて百年、人間なんか死に絶えて宇宙人が来る頃どうなっているかということすら考えるほうですので、この建物もOXYもプログラムとかがどうせ使われていくうちに微妙に調整されていく。だから基本的にもこの壁なりこういった大きな表現が町に対していい意味で使用してくれればいいし、これが人びとに愛着をもって迎え入れられればいいなと夢見ています。オーナーもホテルを構想するときに、表からはホテルか何か分からへんようなものでええんとちゃいますかということで意向が一致しまして、何があるか分からんというものつくってたかだか12室の非常にプライベートなホテルですから、そういったシークレットな部分をきっちりと保護してやれるだけの厚い壁をとってやろうと思ったのです。
最上階はディサムバーといいまして、これはネーミングもグラフィックもわれわれの仲間でつけました。メニュー構成も考えましたがこちらはいろいろな調整が働いて当初とは変わっていっています。容積率500%ぐらいで高さが9階建てのようなものをつくるのですからスカスカになるはずで、こういう部分をばっと抜いて空を見せてやるというのが僕はわりと好きで、一番最初の建物からすかっと抜けて空が見えるところが必ずあるんです。この建物ではそれが一番大々的に出ました。こういう裏切りの形が建築のつくり方では一番の醍醐味ですね。
抜けていくというのがすごく好きで、これも真中の部分が避難経路でもあるのですが上まで抜けていく。大きく囲ってあちこちをすぽすぽ抜いていくような感じが本能的にあるようなところがあります。ですから裏から見るとこういう格好になっていまして、ここが道頓堀の西の入り口の部分に面した切断された壁の部分。ピンを出すのは不可能なので面木を入れているのですが、25ミリで入れて、一応これで補修なしで打ててきまして施工会社が素晴らしいテクニックを見せてくれました。
一階の部分がパブリックゾーンとしてのギャラリー。最近、ギャラリーカフェとかギャラリーショットバーみたいな設えをしているので是非いらして下さい。こちらは典型的なゲストルームの内部です。コバを見せるというようなデザインを心掛けています。つまり未完成なデザインであって風通しがよいというのは、僕は、手法的なものですが、コバを見せる、エッジを見せるというところにひとつの可能性をみています。ただそういうのも槙さんがやると非常に上手すぎてなんやいう感じになってしまってTEPIAなんか見るとガックリきますけれどね。