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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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竹山 聖 - 不連続都市
関係の触手
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東西アスファルト事業協同組合講演会

不連続都市

竹山 聖SEI TAKEYAMA


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関係の触手

ディテールを見るとこういう感じです。ルールとしてはすべてのものがマグネットシートで付けられると決めましたので、ベースがあってボディがあって、それに「関係の触手」と呼ぶオブリガードを付けるということを決めまして、多くの人が独自の解釈でさまざまに読みとっていく。結局都市はひとりの人間がすべてを決定するわけにはいかないのですから。そういうことに関するうさん臭さにはとっくに引導を渡されたと思うのです。ブラジリアの破綻とか、素晴らしいけれども恐ろしい丹下健三の1960年の東京大計画ですとか、遡ればヒトラーのベルリンの計画。ヒトラーのファシズムという政治形態で明らかなように、人間というのは共同体を心の底ではある意味で求めていて、それが引き裂かれてきたのが近代の歴史ですけれども、それは逆説をファシズムが成し遂げたわけです。心を合わせたいと思っているのは確かなわけですね。それは親しい友達、あるいは恋人、あるいは家族の間で心を合わせる、もう少し大きなサークルで心を合わせる、会社で心を合わせる。そういったことはいろいろ出てくるわけですが、それが国家単位で心を合わせることの恐ろしさ、そういうものが1930年代40年代ですべて破綻があって、心を単純に目をつぶって合わせることの不気味さを誰もがわかってしまった。それらが禁じられたところに民主主義というものの根底があるがずで、現代は基本的な人間の相互の欲求とそれらの調整というようなアンビバレントな調整機能が政治には求められているわけですけれども、東京や大阪は土地の細分化が進んで隣は何をする人ぞで、隣が何やってもかまへんという暗黙の前提で自分の敷地で建物をつくらなあかんわけですし、そういったときにどんなふうな関係のとり方をするべきかということを考えなあかんわけです。今関係の触手ということをいいましたが、関係の触手というような考え方は僕が最近いっております「イオンの建築」ということと繋がっていまして、これは『ポートフォリオ』という雑誌に先日ちょっと書きましたが、都市の不連続点を構想するときにそこにつくられる建物は、ある意味では他のものとの関係を熱望するような建物でありたいと。他社に敏感な建築をつくりたいと思っていまして、イオンは分子が電子をひとつふたつよけいにもったり少なくもったりしている状態ですので、不安定なわけですね。ただその不安定な状態がたとえば水のようなものをつくる。水はH2OですけれどもふたつのH2とひとつのO2がいっしょになっただけでは水にはならずに、そこにはH2がひとつずつH+というふうにイオン化しないといけません。O2はO2-というふうにイオン化をしてイオンになった状態で水になって融合している。建築の場合も隣に何が建つか分からないから俺はずっとH2のままでいるとO2のままでいるということでは先がクラい。

今の日本の状態を考えるとある意味では新しい町並みを考えるのにちょうどいいチャンスやと思いますが、そういうときにレギュレーションもなく、共有する文化的な価値観もあまりないですし、かつてヨーロッパの都市がつくられてきたような連続的なビジョンもありません。連続的というのはたとえばバロック都市のように遠近法に導かれた都市計画の考え方ですが、ヨーロッパはやはりずっと向こうまで連続したものがつづいているというようなふうけいがもともと潜在的に心象風景にあるわけでルネッサンスで発見されたということだと思いますけれど、日本の場合はやはり芝居の書割みたいに近景、中景、遠景というふうに不連続に繋がっていて、それを頭の中で組み立てる。それから茶室の道行でもそうですが、ずっと路地をいって中潜りとか待合とかそれぞれのスペースがまったく違った論理で構成されていて、最後に無謀とも思える小さな入り口で、躙口ですが、滅茶苦茶狭い空間に入って、そこですべての面がファッションメトリーな、天上なんか1.9メートルくらいしかないようなところでお茶飲んで話をする。それでものすごい宇宙のことから下世話なことまで話をするというような美学をつくった国ですから、それは現在の不連続都市を凝集しているわけですが、そういう空間感覚を最初からもっていると思っているんです。なおそれが現代の日本の都市を特徴づけていると思っているのですが、そういうことをより明確に出してやってみようかな。そのときに基本的なマナーとして、ひとつひとつの建築がイオンのような状態になって他社との関係を考えないといけないのじゃないかな、それは完結したベルサイユみたいなものをつくるんじゃなくて未完結なものをつくる。未完結なもののよさというのは完成した姿を頭の中で想像できる。完成像を頭の中でつくり上げるということは、禅の美学でもあるらしく鈴木大拙の本に書いてあったのを読んだ記憶がありますが、いずれにせよそういう価値観をわれわれは昔からもっていたし、今の都市はそのようにつくられつつありますし、その中でひとつひとつの狭い敷地にそれぞれが完結したものをつくって、隣と背の高さを競い合ったりしていても何となく不細工やなと思っていますので、その中に共有する部分と違った部分を明確に言葉と形にしていってやりたいなという感じが僕にはあるわけです。OXY乃木坂です。

個々のものをとるとこういう感じになります。

ベースとボディと関係の触手です。ベースは原則として正方形あるいは円、あるいは三角形というゲシュタルトの明解な形で、ボディは原則としてキューブとかシリンダーとか三角柱とかそういったもので、それに関係の触手をくっつけていく。関係の触手がそれぞれの場所を結んでいく機能をもっていて通信手段、交通手段とも関わってくるというふうに考えています。

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