アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
前置きが長くなりましたが、今日の話の要点は、20世紀の建築とは基本的に二つの対立する美学によって支配されていたということです。一つは都市の美学で、もう一つは郊外の美学です。この二つの全く対立する美学によって支配されていたのが20世紀の建築であり、その構図は、20世紀の産業資本主義の構造から自然に派生したものです。20世紀の資本主義とは基本的には産業資本主義的なものが優位を占めていた。それがいま、世紀末にきて揺らぎ始めている。その結果、二項対立自体が揺らぎ始めて、ぐちゃぐちゃになり始めている。その現れの一つがポストモダンであり、デコンストラクティビズムだろう。その辺を大きな骨組みとして話を進めたいと思います。その骨組みの中で私の建築を説明していこうということです。
まず最初のスライドは、ちょっと以外に思われる作品ですが、マリー・アントワネットがつくったベルサイユ郊外に建つ「アモーの住宅」です。
マリー・アントワネットがなぜこれをつくったかというと、彼女は「都市に嫌気がさした最初の人間」だったからです。彼女は元々ハプスブルグ家の出身でオーストリアからフランスに嫁入りしてきたわけですが、ベルサイユのしきたりとか華美な雰囲気が嫌いでベルサイユ宮殿に住むのが嫌で仕方がなかった。当時のベルサイユ宮殿は要するに都市そのもので、彼女はその都市に嫌気がさして、ベルサイユ宮殿から歩いてわずか十数分のところの、それでも宮殿とは全く雰囲気の異なるところに一種の別荘をつくった。そして、ここで田舎風の暮らしを楽しんだわけです。建物を建てるだけでなく、自分の家来たちに農夫の格好をさせ、乳しぼりをさせたり、農作物をつくらせたりした。彼女自身も乳しぼりをしたり田舎の真似事の暮らしを楽しんだ。彼女こそ「最初の郊外人」だったんです。
アモーの住宅は18世紀末の建物ですが、反都市の美学としての郊外というものが、この頃、いろいろな場所で同時発生的に芽生えるわけです。思想的にいえば、これは「自然に帰れ」というルソーの思想にも通ずるものです。「反都市」というためには、はじめに都市がなければならない。だからこそ、18世紀末に都市あるいは資本主義というものがかなり形をなし始めてきて、それへのカウンターパートとしての「郊外」、あるいは都市のアンチテーゼとしての「自然」が注目され始めた。そういう意味では、「自然」は最初からあったものではなくて、後から「発見」されたものだと思います。
ちょうど同じ時期にアメリカにも反都市の思想の人が登場します。第三代大統領のトーマス・ジェファーソンです。彼はアメリカ建国の理想をつくり上げたといわれる、歴代大統領の中でも非常に影響力のある人ですが、彼がバージニア州モンティチェロに建てた自邸があります。この周囲は非常に広大な農園で、ジェファーソンは実は農業に関する学者でもあったので、この農園で自らいろいろな実験をしています。ここで「自然と一体になった生活がアメリカ人の理想の生活である」ということをジェファーソンは主張した。これがアメリカ人に多大の影響を与えました。アメリカ人は基本的に反都市的な人間で、郊外の自然の中で芝生に囲まれた一戸建てに住むことに憧れ続けているわけです。
これはアメリカ独自の特性かというと、そうではなくて、さらに遡るとアングロサクソン的なキャラクターだろうと思います。 イギリスとフランスを比較すると明らかですが、フランス人は基本的に都市の中のアパルトマンに住む。他人の上に重なって住む集合住宅であるアパルトマンは19世紀初めにパリに誕生しています。一方、イギリス人は都市の中においてもいわゆる接地型の住み方をしていた。それほどにアングロサクソン的な土の好きな気質と、フランス的あるいはラテン的な都市好きの気質が対照的な性格として存在していた。そのアングロサクソン的な性格がアメリカに受け継がれていったといえるわけです。これが20世紀になって世界に拡張されておおきな影響を与えることになります。
アングロサクソン的な気質が19世紀末にイギリスで開花した住宅で、モリス商会を創設したウィリアム・モリスの自邸である「赤い家」と呼ばれる作品があります。フィリップ・ウェッブの設計です。
実は、日本の建築に大きな影響を与えたジョサイア・コンドルはこのウェッブという建築家の弟子です。コンドルは基本的にはアングロサクソン的な反都市的な人間であった。その反都市的な人間であった建築家が日本の建築を指導したという点がたいへん面白いわけです。というのは、日本人も基本的にはアングロサクソンと同様に反都市的な性格を持っている民族です。これは「わび・さび」ということから考えてもわかるように、わざわざ農家の土壁のようなものを愛でるという思想は、さきほどのマリー・アントワネットのアモーの住宅と同じですし、19世紀末のイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動にも通じるものがあります。
一方、これらの反都市の美学を生み出した根底には、18世紀から19世紀にかけてのテクノロジーの発展があります。それを私は「都市の美学」あるいは「生産の美学」と呼んでいます。
都市の美学を代表する作品を二つ紹介します。一つは、鋳鉄の橋の中でも初期のものでイギリスにある「コールブルックデール橋」です。もう一つは都市の美学の基本であるテクノロジーの美学を室内空間に初めて持ち込んだ作品の一つといえる「ロイヤルキューガーデン」で、ロンドン郊外にある温室です。橋と温室を二つの例として挙げたのは、それが両方とも広い意味でのコミュニケーションに関係しているからです。橋はもちろんコミュニケーション、交易のメディアだし、温室も、イギリスにない南方の自然を持ってくる手段としての交易の一つのメディアだったわけです。基本的に、都市は交易・流通・コミュニケーションの場です。そういう性格を建築化していくときに、橋や温室という場所に、新しい建築のスタイルが発生してきた。そのスタイルの特徴は一言でいえば「透明性」です。交通はすべてを透明化しようとします。橋もガラスこそ使われていませんが、透明を基本にしたデザインです。温室はもちろん透明性を主張した建物です。ところが、さきほどまで見てきた反都市の美学は基本的に「不透明の美学」であり「遮断する美学」です。要するに都市から流れてくるものを遮断しようということです。この二つの美学が対照をなして19世紀から20世紀の建築を形成してきた。
透明な美学の代表作品に、世界で初めてのオフィスビルであるといわれている、リバプールにある「オリエル・チェンバース」があります。この建物は非常に透明で、19世紀半ばの作品です。当時のゴシックスタイルの繊細な表現は、透明性の表現と大変類似していたため、この建物はゴシックのスタイルを借り、なおかつガラスを使って透明性を表現しています。