アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
二項対立が崩壊し始めている世界をどのように表現しようかというのが、私の建築の出発点でした。私がニューヨークにいる頃に華やかだったポストモダンというのは、たいへんイージーな手法で二項対立を解消している。「都市の箱」に単に郊外のデザインを被せるというイージーなやり方だったから、それはすぐにすたれてしまうわけです。郊外の美学そのものが人気がなくなってきている時代に、それを大きなダムボックスの上に被せるという方法は、そもそも長続きするはずがない、もっと基本的な部分で都市と郊外の美学を交代させることはできないだろうかと考えておりました。デコンストラクティビズムという言葉がまさに解体ということを表していますが、デコンストラクティビズムは単に幾何学だけでの解体を目指している。私はもう少しその奥にある文化的な領域を含めての解体ができないだろうかと考えました。
最初の作品に「伊豆の風呂小屋」というのがあります。太平洋の大島まで見渡せるという、すばらしいロケーションにある伊豆の別荘です。
別荘は普通はメルヘンになります。程度の差こそあっても「木の香りがする暖かみのある住宅をつくって下さい」といわれることがほとんどです。私は、木の暖かみというのが、そもそもメルヘンであり、そういうものではない別荘をつくりたいと考え、ここではトタン板のバラックの別荘をつくりました。二階の先端のとんがった部分に風呂場があり、そこから太平洋や大島が見渡せます。
私はだいたい、建物の工事中が好きなんですが、トタンと足場が組み合わさって、ちょうど彫刻家の川俣正の作品に通じるような雰囲気が工事中にはありました。トタンが都市の美学とすれば、それと全く対照的な反都市的な美学を組み合わせました。しかもメルヘンとは全く違ったやり方で反都市の美学を導入しようとしました。 例えば、ホンモノの竹を樋に使っています。桂離宮や修学院離宮に見られる、反都市の象徴、わび・さびの象徴としての竹とトタンをを組み合わせた非常に新しいタイプのバラックをつくろうと意図したわけです。バルコニーの手すりはワイヤー一本だけです。形態的にも90度がほとんどなく、人為的にバラックの感じを出そうとしています。
インテリアは、床・壁・天井すべてパーティクルボードという家具の下地用の安い材料を使っています。木のカスを固めてつくったボードで興行製品ですから、ここでもメルヘンの解体というか、メルヘンと工業的素材の調停を目指しています。居間のソファ状の家具は、オリジナルで、段ボールを糊で貼って作りました。これは一時は市販されました。パーティクルボードは、実は雨に弱い材料のため、工事中に大雨に会って一度全部ダメにしています。安い材料のはずが全部ダメになったために結局安くはなかったというオチがついています。
次は、この段ボールの家具が発展したもので、段ボールだけで茶室を作ろうという発想からできた「段庵」です。これは段ボール屋さん泣かせで制作がたいへんでした。さきほどの家具は型をつくって、それをプレスで打ち抜いて、糊で貼ればできましたが、この場合は、一枚一枚全部をカッターで切り、それを糊で貼っていくという気の遠くなる作業の末に完成した茶室です。
内部空間は千利休の「待庵」をそのまま原寸通りに使い、外殻はすべて1, 2倍にしています。そうすると内部はそのままで外部が1, 2倍ですから、その間に壁の厚みが生じ、その部分が段ボールの厚さになるという仕組みです。
床は段ボールを小端立てにして使っています。ここで実際にお茶を点てたのですが、少々膝の痛い思いをしました。段ボールという非常に工業的な素材を使ってメルヘンの解体を試みた作品です。