アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
透明の美学は20世紀になると、ミース・ファン・デル・ローエの「ガラスのスカイスクレイパー」という大傑作を生み出します。ミースは1919年と22年に同様の提案を二つ出しています。これこそ19世紀以来の都市の美学の完成形だったわけです。
ミースが実際にこれを実現したのが、アメリカに渡って後の1958年に完成したニューヨークのパークアベニューに面して建っている有名な「シーグラムビル」です。いま見れば何の変哲もない建物のように見えますが、これこそ20世紀の透明性の美学を代表する作品だったわけです。
それでは、20世紀には透明性と反対の不透明の美学は消滅したのかというと、そうではなくて、あくまでも、そして実に巧妙な形で生き残り続けています。
20世紀の不透明の美学の代表作品であると私が考えるものが、「アメリカのコロニアルスタイルの住宅」です。アメリカ人は都市においてはガラスの大きな箱、これを僕はダムボックスと呼びます。つまり、物言わない、表情のない箱という意味ですが、そういうダムボックスの中で働きながら、川を渡った郊外の緑の中に建つ不透明な住宅に住み続けていた。どうしてアメリカ人は、二つの全く対照的なスタイルの間を行き来するというライフスタイルになったかというと、実はそこに産業資本主義の大きなレトリックがあるわけです。
二項対立を象徴的に示す出来事が1920年代に起きています。第一次大戦後、たいへんな住宅難が世界中を覆いましたが、この住宅難に対してアメリカとヨーロッパで術に対照的な政策が採られました。アメリカでは連邦住宅局によって持ち家政策が推進されました。「安くお金を貸すから、皆さん持ち家を持ちなさい」」と住宅ローンを国民にすすめ、アメリカ人はこの政策に飛びついて、皆んなお金を借りて自分の住宅を建てた。一方、ヨーロッパでは公共住宅政策を採用した。「公共住宅をどんどん建てて、安い家賃で人を入れる」という政策です。この政策のほうがはるかにヒューマンな政策なんですが、ヨーロッパの人たちは安い家賃で質の高い公共住宅に住むことができたわけです。
ところが、この対照的な二つの政策の導いた結果はどうかというと、公共住宅に住んだ人は、安い家賃で住み心地のいいところに住んでいると、まず働く意欲が減ってくる。ところが持ち家を手に入れた人たちは、何がなんでもローンのために働き続けなければいけない。また、借家住まいに比べると、自分の持ち家であれば消費の欲求がはるかに強くなるわけです。カーテンも取り換えたい、家具もいい物が欲しい、といった消費の欲求を促進する。また、持ち家は政治の保守化を招きます。持ち家を持っている人は政治的にも保守化して政府のいうことに従順である。それに対して、借家住まいの人は基本的な気質として、反動的で政府に対して危険な思想を持ちやすい、というように、持ち家政策はいろいろな効果を導き出すわけです。
これが、20世紀のアメリカの経済の繁栄をもたらした。そして忘れてならないことは、持ち家政策が自動車文明をももたらしたという側面です。郊外の持ち家から都市のダムボックスに通うために、皆んな自動車を持つ。自動車で二項対立の間の行き来が可能になる。ところがヨーロッパは都市の中に良質な公共住宅があり、公共交通機関があるために、自動車は基本的に不要であったわけです。このように、都市と郊外に人間の働く場所と住む場所を分離させ、その両方が人間にとって必要であるという、巧妙なレトリックを20世紀の産業資本主義は用意し、このレトリックに皆んな乗った、というのが20世紀の文明・経済の基本原則であったわけです。