アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
これは西洋のコスモロジーのパターン図ですが、人間を頂点とした近代的な宇宙観、世界観です。人間が一番上で、動植物が下という西欧的な考え方です。これに対して東洋的な考え方は、これが渾然一体となっています。さらに、これに対して最近のある哲学者は、足元が大地に着き、上は宇宙に向かっているという新しいコスモロジーのモデルをつくっています。なるほどと思うモデルです。人間そのものは生物から離れていませんが、人間の記憶の根底にあるもの、あらゆるテクノロジー、いろんなイメージ、あるいは情報がだんだん宇宙に開いていく一つのモデルになっていると思います。
地球を考える場合に、古来からの神道的な考え方があります。それは、国粋的なイデオロギーと言ってしまうには、もう少しユーモラスな考え方なのですが、「日本は地球の雛形であって、地形的にも写しである。北海道は北米で、本州はヨーロッパである。カスピ海が琵琶湖であって、いろんな山川が一致している」という説です。例えばバンクーバーと網走の辺り、能登半島とスカンジナビア、出雲地方と中近東など、いろんなところを見て歩きますと、これが結構よく似ていて、なるほどなぁと思うのです。それをもっとエキセントリックにしたもの、「地球が一つの人体になっていて、それの胎児が日本である」という明治の神道家の説があります。
また、時間的なことで「日本に起こることがすべての雛形で、これがだんだん地球に起こる」という説があります。世界の事件はまず日本で先取りされて起こっているのだというわけです。 これについてもう少しつっ込んで考えてみますと、日本は徳川時代、鎖国をやりましたが、吉宗のとき人口は一千万人ぐらいで、列島は大変人口バランスがよかった。けれども、綱吉の時代になると三千万人ぐらいに爆発してしまうわけです。そこで都市がスプロールして自然破壊が起こるのですが、木を植えたり、河畔を整備したりしながら一つの閉鎖系の中でバランスをとっていくわけです。それと同じようなことが、今、地球上で起こっています。巨大な閉鎖系の地球で人口が爆発している—そういう一つの具体例としても、かつて日本で起こったことが地球で起こっているなぁというように考えられるわけです。ですから、ある意味では宇宙に開放していかないと、なかなか人類と環境のバランスがとれないのかなぁとも思います。
またもう一つ地球を考える場合に、地球を大きな一つの人体—ガイアというのでしょうか、ギリシャの神話時代から現代のNASAの科学者たちのいう地球大地母神説—地球を大きな一つの生き物とする発想があります。人体にはたくさんの〈ツボ〉があり、またそれらを結ぶ〈経絡〉があるけれども、それと同じように地球の中に大事なポイント〈聖域〉があって、そこを大切に守っているという説があります。良い所と悪い所があって、それを風水では、龍穴(リュウケツ) 汚穴(オケツ)といいますが、龍穴は世界の聖なる場所で、良いエネルギーを吐き出しいる所で、汚穴は、汚の三角領域などの悪い場所であるという生きた一つの考えがあるわけです。