アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
ガウディの「サグラダ・ファミリア」があるところこら約五十キロメートル離れたところに、モンセラという山があります。日本でいえば大峰山みたいな感じで、ここはキリスト教以前から険しい修行の場でした。ここには真っ黒なマリア様が飾られています。大地母神とマリア信仰が習合したこの場所で、ガウディはいつも瞑想しながらいろんな構想を練っていたといわれています。このモンセラの構造とサグラダ・ファミリアの構造がよく似ていることはスペインの学者も言っていますが、僕も磯崎新氏に教えられて見に行って、なるほどなぁ、と感じました。
これと似たような発想に、さきほどの「風水」があります。山の形とか水の形とか、その形のバランスを読み取りながらつくっていくやり方です。これは北宋の都「べん京」という町で、金の牛が寝ている形をしています。江戸では竜が渦を巻いている形になっています。大地を形態的に読み取ったり、五行のバランスを読み取ったり、あるいは見えない風と水のエネルギーを読み取ったりしていくという風水のやり方。これは、地球を考えながら、あるいは環境を考えながら行う古来からの東洋の一つのやり方なんですね。
また、山や森は、象徴的に寺院や神社になるケースが多いんですが、これは日本の「神倉神社」です。熊野三山の発祥の地です。「ごとびきの岩」と名付けられた一番パワーのあるスポットに小さな神殿があります。
鎌倉にある「田谷山瑜伽堂」は、聖なる山を三層にくり抜いて、いろんな地底寺院をつくっています。地底を少し斜めにしながらグルグルと三層にして、一番下には地獄の - 三途の川 - が流れていたり、上の方にいくとドームがあったり、非常に不思議な空間になっています。一つの山を「十界」に見立てているわけです。修験道の山なども、生まれてから地獄、餓鬼、畜生…そして天人になって、最後にまた生まれ変わって出てくるという一つのプロセスになっていますが、それをある意味では建築的に凝縮しているのが瑜伽堂です。
これは、「生島足島神社」です。『延喜式神明帳』という神社の由来ばかりを集めた平安時代の書の中にすでに出てきます。信州にありますが、その場所は、日本の中心、地球の臍に位置すると当時いわれていました。 この島の真ん中に「生島神」・「足島神」という巨大な国土の神様が祀られていて、入りますと、土間を拝むような不思議な空間になっています。すでにこのとき国土というような発想が出てきているわけです。これからしばらくしますと、弘法大師の八十八箇所などいろんなネットワークがつくられ、実際の修行、国民の旅行、名所訪問などいろいろなことを絡み合わせて、一つの国土像をつくるようになっていきます。
「アルハンブラ宮殿」です。世界中の植物をコレクションして、その花を咲かせるというのがイスラムの庭園の理想です。木漏れ日をイメージして壁にはいろいろ小さな穴を開けています。地理上楽園の集合体というか、地球の凝縮モデルというのか、わりと具体的な地球をデザインしたイメージになっていると思います。
これはペルーの山の中にある「サイウィーテの石」という五メートルぐらいの石です。
千五百年ぐらい前のものだそうです。インカの人々は設計図を書かずに石や粘土を彫り込んで都市を計画していったといいますが、これれがその都市の設計図にあたると思われます。宮殿や神殿とか、貯水場とか段々畑とか、インカ道(山の中腹につける細い道)など、すなわち都市の風景が明確に刻まれています。よく見ますと、ピューマやカエルなどいろいろな動物も彫り込まれています。やはりモンゴリアンといいましょうか、東洋の風水と同じように、自然と人口が一体となった一つの世界をこの石の中にも見ることができます。大変興味あることは、サイウィーテの石に刻まれたその小宇宙が、二十世紀に入ってからハイラム・ビンガム博士によって発見された神秘の山上都市「マチュピチュ」のデザインととても似ているということです。マチュピチュを風水的な見方で読みますと、峰を両翼に見立てたコンドルの姿になっています。インカでは、コンドルは天と地を結ぶ非常に聖成るものです。ビンガム博士が発見したときには、たった十九人の女性のミイラにだけしかなかったので、魔術師の都市なのか、王様の離宮なのか、何の都市なのかといろいろ謎だったらしいんですが、最近のペルーの考古学者によれば、段々畑に何十種類もの植物を交互につくって、畑が痩せないようにする一つのバイオランド(実験農場)だったのではないかという説が有力だといってました。