アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
これから実際つくった建築に移ります。だいぶ昔にやりました釧路の博物館です。さきほど、アレクサンドリアのミューズの女神の話をしましたが、芸術の女神ミューズのところに、ぶんどってきたものとか美術品とか、資料、武器、いろんなものを奉納して、それをコレクションしたものがミュージアムになっていくわけです。“ミュージアム”は、ミューズの女神をたたえる建物であると同時に、記憶を集積する場でもあるのです。マンフォード都市自体が何百年、何千年にわたって古い記憶をずうっと地層のように集積していく一つの大きなミュージアムだと言っています。そういう意味で、ミュージアム自体は都市の記憶なのだと言えます。
この建物を天・人・地の記憶、つまり三層に分けています。第一層は地の記憶で、ここには海洋学や地質学の資料がグルっと入っています。第二層は人間の記憶ですから、縄文・弥生とか鎌倉の資料が入っています。最上層にはアイヌの神様とか鳥類などが入って、その三層を二重螺旋の階段で結んでいます。記憶のDNAの構造と同じこの二重螺旋をグルグル回っていくことによって、バラバラではありますが全部が見えてしまうようになっています。この階段を中心に、階段に一番近いところにはオブジェとしてテーマに一番大きなものを並べて、目に映るようにしています。真ん中の列には人が歩きながら見る展示を、外郭には細かい字や顕微鏡など、いろんなもので覗きこむような展示を—というようにサヤのようになっています。この展示の仕方はある意味で立体マンダラでして、今までの博物館の展示とちょっと違うので賛否両論です。
「都市は脳である」、つまり都市はいろんな記憶を集積しているわけですね。そして、脳に直感的・感性的な部分、理知的・合理的な部分という右脳・左脳の二つがあるとすれば、さきほどの市立博物館とこの湿原展望資料館の二つもそういう関係にあるといえましょう
実際にはこの二つの建物はお互いには見えませんけれども、この二つは意識してつくっています。この意識して見えないところにつくるシステムは、奈良時代から平安時代にかけて、日本の神道がいろんな古事記や神話を再構成したときにつくっています。
たとえば、春日神社を中心にして、東端の「日出づるところ」に伊勢神宮を、西端に出雲大社を配置するとか、宇佐神宮・諏訪神社・春日大社・伊勢神宮を平行四辺形に並べたり、また、鹿島神宮と熱田神宮と出雲大社を等距離に一直線に配置して、国護りの物語をそのまま地表に落とし込んだりしています。お互いには見えません。
ある程度一直線になってたりして、神話的コスモロジーを実際に建物に置き換えたりしているわけです。ですから全面的にやらずに、ポイントを—碁ですとか針灸みたいなもので—重要なポイントを押さえ込むことによって一つの国土をネットワークしていくという方法は昔からあったわけです
これは石川県の門前帳にあります。「のと門前ファミリーイン」です。門前帳はかつての曹洞宗総本山です。その門前町に「マンダラ村構想」があり、この建物はそのマンダラ村の入口?金輪?、つまり一番は市、世界の端にあたるところにあります。ペデストリアンデッキを金輪の一部として、それを境に内側は〈内なる日本の世界〉ということで庭園が見え、外側が海に面して、〈外の世界〉が見えるようにしてます。真ん中にあるのが円形のホール。レストランは外側の海が見えるようになっています。金輪には板を張ったり金属を張ったり、瓦をのっけたりしています。建物の内部ですが、壁も障子も全部歪んでいるものですから、町長が見に来たときに「君は意地が悪い設計をするね」と言われました。「つくる方が意地悪くても、見る方、味わう方は喜んでくれるんですよ」と返したのですが、眩暈して倒れた人がいるという話を聞いています。文化人類学者の小松和彦さんは「新しいお化け屋敷だね」と言ってました。