アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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妹島 和世 - 自作について
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東西アスファルト事業協同組合講演会

自作について

妹島 和世KAZUYO SEJIMA


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はじめに

 自分の事務所を開いてからちょうど十年になります。今日はここ一年ぐらいの間、考えていることについてお話をさせていただこうと思っています。

去年から今年にかけて西沢立衛との共同設計で三つの建物ができました。岐阜県の県立学校の校庭につくった工房と、和歌山県の中辺路という町につくった小さな町立美術館と、岡山県の小さな住宅です。それらは、雑誌の写真などで見ると、私がこれまでつくってきた建物と似たようなものだと理解されるかもしれませんが、私としてはなんとか違うものをつくりたいと考えてつくったものです。それは具体的に申し上げれば、外と内の関係のあり方で、その特徴は、要約してしまえば、どの建物も全部回廊で囲まれたプランだということです。

振り返りますと、一番はじめに小さい住宅を二つつくった後、「再春館製薬女子寮」を手がけました。自分としてはつくるだけでほとんど精一杯で無我夢中でつくった再春館でしたが、出来上がると、非常に軽いとか透明だというふうにいろいろな方からご指摘を受けました。その後いくつか建物をつくり、四年ほど前に交番をつくりました。そのときにそんなに透明だといわれることが果たしてあり得るだろうかと考えるようになりました。ですから交番は自分なりにそうとう試行錯誤してつくった建物です。もともと私は、外と内をできる限り近い関係でつくりたいと考えておりました。つまり建築の中で行われていることがまったく伺いしれない、あるいは、内での使われ方がまったく外に反映されないような建築ではなく、むしろ建築をその内部のことから考えるという方法をとっていました。また、建築を現在の私たちの生活にあったものとしてつくりたいと考えていました。そのため、どちらかというと、私の興味は内部へと向かい、それも内部の使い方からそのまま建築を立ち上げるというような方法をとっておりました。しかし、交番の設計においてはじめて、そういう方法での矛盾を考えるようになりました。
つまり交番は、都市の中に放り出されて、非常に多くの人が関わる建物なのですが、実際にその内部を使う人は二、三人であり、外と内を透明な間係では繋ぎようがないということです。あるいは内部を外部で感じる必要がまったくないということです。そのように考えはじめますと、自分たちの身体の変化に比べて、外、つまり環境といったものの変化の速さ、あるいは大きさに気づかされます。つまり例えば私たちの歩くスピード、あるいは身体の大きさはそれほど変わらないのに、外側を動くスピード、あるいはボリュームの大きさの変化は、目を見張るものがあります。

そんなわけで、もう一度外と内の関係について試行錯誤はじめたものが三つの建物になります。外に対してのあり方、そして内からのあり方、それらを並列して存在させたいと考えました。いろいろ試みた結果、回廊を回すという方法を選択しました。いろいろな方法があると思いますが、私としては、そういうことを平面で表したいと考えたからで、つまり回廊がバッファーゾーンになっており、これらの建物は弱い二つの境界面を持っており、回廊が二つを調整しております。

三つとも、外から内部が透けて見えるのですが、よく観察されると、結局内部は建具でカバーされており何も見えないことに気づかれると思います。しかしすべて建具ですので、内部の使われ方次第、あるいは建具の開閉の様から、なにか使われているらしいということが外から認識されることと思います。ガラス面の後ろにすぐもう一つ面があるということは、ガラスの表情も変化させました。そして、こんなことから境界面を二つの方向から考えるということは、つまり環境といったものをどのように捉えるかということを私に考えさせるようになっております。

それでは今から、具体的にスライドを使いながら、以前の建物をいくつかと、それから三つの建物についてご説明させていただきたいと思います。

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