アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
最後に、現在施工中の「せんだいメディアテーク」を紹介します。これは仙台市が企画したオープン・コンペティションの建物です。敷地の前面道路には四列ケヤキが植わっているきれいな並木通りです。今年の初めに着工しました。五十メートル四方の床が七層積み上げられ、地下が二層です。チューブのような柱で建物を支えようというわけです。
最初のスケッチですが、水の中でゆらゆらとしている海草のようなチューブの柱をイメージしました。水ともう一つの身体、電子的な身体、そのメタファーとして水があるわけです。コンピユータと水が何らかのかたちで相関し合っている、そんなことがふと思い起こされたのだと思います。スラブは極力薄くフラットに、フロアハイトはランダムに、と書いてあります。このスケッチを見た佐々木睦朗さんがこのことばに反応してくださって、一週間後にはすでに大体権造のアイディアがまとまっていました。
例えば諏訪の博物館のように、柔らかいものがイメージされていても、それがいったんかたちになってしまうと硬いものになってしまうということがあります。この場合もやはり建築ですから、五十メートル四方であるとか高さは三十メートルであるといったある領域を囲うことは避けられません。しかし、それ自体がはっきりとしたかたちとして凍結されてしまうのではなく、ある領域の中にこのかたちがゆらめいている、チューブ自体も最後には硬いものに固定されてしまいますが、それがもう一つある枠の中にはまっていることで形態の表現がよりバーチュアルにといいますか、イメージの中のかたちのようなものに置き換えることができるのではないかという期待があるわけです。また、このようなチュープでなく柱だけで支えればよいではないかという意見があると思います。実際に地元の新聞に、このチューブのような柱はじやまであると書かれました。しかし、チューブにこだわるのは、この空間はどこで何が行われてもかまわないような均質さをもっているわけですが、その中に十三本のチユーブが入ってくることによって、ここにもう一回場が生じてくるのです。実際にチューブには上から光が落ちてきたり風が抜けていったりするわけで、そうすることによって森の中と同じように場が生じてきます。したがって均質な空間の中にいろいろな場ができるのです。そのことにこだわっているわけです。
「メディアテーク」という名の建物ですが、それが何なのかいまだにわからないところがあります。アートギャラリー、市民ギャラリー、オーディオ・ビジュアルのセンター、それから視聴覚障害者のための施設、この四つが複合したプログラムです。単なる図書館とか美術館というプログラムで固定してしまうのではなく、それらがお互いに干渉し、複合し合うことによって、そこから新しいタイプの図書館のあり方、美術展示のあり方が見えることを期待しています。最初の一年間は利用者団体からの要求が厳しくて苦労しましたが、最近ようやく運営委員会がつくられて、新しい動きが発生しました。ここでは通常の建物のように竣工した時点で完成像が描かれるのではなく、完成してからも動いていけるような、今までの公共建築よりはもう少しフレキシブルなプログラムの建物になるのではないかと期待しています。ハードウエア自体よりもそのソフトのほうに私はすごく興味を持っています。
チューブは一番太いもので九メートル、一番細いものでニメートルぐらいです。その中パイプ類が入ります。完全にボイドなチューブもあり、空調のダクト、に階段やエレベータ一上から集光レンズによって集められた光が途中のフロアに拡散していく工夫がされて、りいます。結果的にはできなかったんですが、コンペティションのときは、地下水を汲み上げて冷却し、その空気を各階に送っていくことも考えていました。上から光が落ちてくるというようにして、植物のように外の空気や水にフィルターをかけて各部分に送っていくような働き自体で有機的なチューブを生み出したいと考えていました。
地震力を受ける太いチューブと非常に細い柱で構成される鉛直力だけのチューブと二種類に分かれています。太いチューブが四本あります。一番太いのが直径二十四センチのパイプで、細いのは十数センチのパイプでつくられます。半透明のガラスで覆い、フィルムを貼って構造体がうっすら見えるようなチューブになると思います。
佐々木さんに地震の際のシミュレーションもしていただきました。上と下とで位相のずれがありますので、フラダンスをするようにチューブが揺れます。当初の計画では、床は二枚の鉄板の間に一メートルのグリッドでリブを入れることになっていましたが、実際に解析が進んでくると、チューブのまわりは非常に強い力が働きますので放射状にリブが入ってくるようになりました。先ほど均質な空間の中にチューブによって場が生じるといいましたが、それは力の場でもあるということがいえます。
実設計の段階で川崎重工がこの鉄骨造に関して興味を示し、モックアップをつくって溶接の実験をしました。その様子を見ると、われわれが何十キロという体を支えているのと同じように建築も何百トンもの力を支えるすさまじい鉄の固まりであることが避けられないことを実感します。それに対して一方で水の中で揺れているようなもう一つのイメージがあるわけで、それをどうすれば一つの建築として統合されていくかと考えていくわけです。非常に力強いものでもあり、その一方では無重力状態のように揺れているようなものでもありたいという、その折り合いをつけていくこと、それが建築を考えるときの一番面白い問題であると思っています。私たちが二つの身体を持っていることは建築にもまったく同じよ、つにあてはまると思つています。
ダクトについては、最初は二枚の鉄板の板の中に流す計画でしたが、メンテナンスと耐火衣服の問題などから、スラブにとってしっかりしていなくてはならない部分なので、その方法はやめました。スラブの上に薄い十五センチのフリーアクセスの軽量コンクリートでできた床を設け、その中すべてを配線すると同時に空気を流すようにしました。地下二層はコンクリートのチューブです。地下一層からスチールのパイプが立ち上がっていきます。
先ほど水といいましたが、もう一方では森のようなイメージもあります。建築というよりは一つの自然の中にコンピュータを抱えた人たちがたくさん歩き回っているような、そんなイメージです。
われわれは水でつながれた身体をもっていて、最後にはまた水へ還っていく、あるいは土へ還っていきますが、もう一つの身体は一体どこへ還っていくのかと考えます。それは、バーチュアルということでもあります。バーチュアル・リアリティと通常いわれているような軽い意味ではなくて、今、テクノロジーに囲まれて生きているときにわれわれにとっての精神は一体どういうことなのか。それをかつてのようにやっぱり心だよ、といってしまった途端に何も生まれない状況にすでにきてしまっていると感じます。