アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
三年ぐらい前にデザインした、しかし、まだ工事中の青森県立美術館です。地面をトレンチ状に掘っていくと凸凹の空間ができます。その上に下向きにデコボコのある建物を載せると、間に挟まれた空間ができるというルールで建物をつくろうとしました。これは構造というより構成の問題です。この場合も上に載る建物の中がホワイトキューブのような空間で、挟まれた部分が土の空間だということにおいては中のことを考えてつくってはいますが、つくり方自体はそういうこととは関係ありません。隙間がどういうふうに上と下から決まるか、そこでできた空間をどう使うか、というような考え方でできる建物で、機能から出発しているわけではありません。その点では一般の建築のつくりかたとは逆転しているものです。内部構成からやろうとするときには何か根拠がいります。それがふつうはプログラムだったり機能だったりします。だけど実際には機能とかプログラムから出発しなくても、ある形式をつくって、それを運用することで生まれる空間をどう使うかという方法でつくれてしまいます。この場合、むしろそのほうがいいと思いました。現場はようやく工事が始まって地面が掘り終わったところです。
宇都宮のにある大谷石の石切場の写真をお見せします。ここは石を切ってできた空間で、いい石を切りやすい位置から切って、崩れないために柱になるところを残してでき上がった空間です。僕たちが考える空間とちょうど正反対の空間です。こういう空間をつくりたいからこうするとか、こういう構造をやるからこうなるとかではなくて、必要な石を取っていった結果として空間ができていて、そこにはすごく強い力があります。陥没事故があったため最近はそういう使い方をしなくなりましたが、パフォーマンスやったりギャラリーとして使われたこともあったそうです。この空間に呼応して何かをやりやすいということもあるし、お膳立てされた場所よりはたまたまできちゃった空間で何かをつくるほうが楽しく面白くできる気がします。
それは先ほどお話しした、東京国立近代美術館と大阪国立国際美術館の違いにも現れています。国立国際美術館はもともと大阪万博の展示場としてつくられていますので、美術の展示がしやすいようにとは考えられていません。そのため逆にストレートに何かを考えられる状態でした。その状態をつくるのであれば、上と下でかみ合うというルールだけでいいのではないかと思ってやってみました。基本的には上と下がたまたまあるかたちでかみ合うわけですから、非常に薄い水平のゾーンとかクレバス状の縦長の空間が生まれてしまいます。生まれてきちゃうといっても、ある程度のコントロールはできますから、展示室なら困るけどエントランスに向いているとかの調整はします。だから完全にはいかないけれど、生まれてしまうものを利用して全体の空間をつくつていくことをやっています。
この美術館は装飾ということとは違いますが、設計において自由度がなくて、がんじがらめの中で何かやろうとするときに、装飾というテーマができてくるような気がします。僕はこの装飾というものに可能性があると思うことと、この美術館の機能から形を割り出さないというやり方が、どこかでクロスするのではないかと思っています。それが今後どうなるかわかりません。ただ、建物がもっている構造・内装・外装・家具というヒエラルキーとは違うもののとらえ方をしていかないとできない世界があるのではないかと思っています。
僕は構成でやっていくこともまだおもしろいと思っています。空間のコンポジションでおもしろいことをやることにも興味はありますが、それがおもしろければその後の内装や表面の問題がそれに対して副次的な問題になるとは思っていません。構成をとるか装飾をとるか。単純な二元論にはならないと思いますが、しいていえばプロジェクトによるのではないでしょうか。都市的な規模をつくる場合であれば、いわゆる装飾的な問題では解けません。道と建物の区分がない状態でつくるためにはどうするかと考えるから、つくるものによって違ってくる問題だと思います。
僕にとって建物が美しいとかきれいということ自体がいちばん重要だと思ってます。建物が機能的にうまくいくというのは最低限の条件でしかありません。それが目的化しても仕方ない。プログラムをうまく解いてみるというのも解けるのが当たり前でテーマではありません。そうすると残ってくるのは僕たちが感覚としてもつ、美しいと思うことをもう少し精度を上げていくということではないでしょうか。これは美しいからいいことにしましたというと理由がないように感じられるけど、デザインを選択するにはときは美しいかどうかだけで決めることも多々あります。言語になりにくいところですが、そこを言葉にしたいと思っています。装飾というのがひとつの鍵かなと思っています。