アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
このあとしばらくして僕は、「ドメスティック・ランドスケープ」ということばを使うようになりました。簡単に説明しますと、「ドメスティック」というのは国内とか家庭内とい う意味で、「ランドスケープ」というのは景観ないし眺めという意味です。つまり「ドメスティック・ランドスケープ」を直訳しますと、室内風景という意味と、国内的な風景というふたつの意味が、同時に重なったニュアンスになります。具体的に言いますと、国内の建物−−住宅なりオフィスなり−−を使用している最中に現れてくるさまざまなモノ、たとえば先ほどのオーディオ機器であるとか、もっと細かい日用品であるとか、家具や家電であるとか、果ては屋外に出てくるさまざまな自動車やら看板やら植栽などが生み出している景観のことを、僕は「ドメスティック・ランドスケープ」と呼んでいます。そうした風景は、現状ではお世辞にも美しいとは言えないですが、そういったスペースを少しでも美しくデザインしましょう、というニュアンスです。
先ほどの「立川のハウス」のオーディオセットというのは、ドメスティック・ランドスケープの問題のひとつだと思うのです。もともと「立川のハウス」を設計していた1995年の時点では、たまたまお施主さんが変わったオーディオをもっていたことや、住宅が小さいということもあって、苦肉の策で色を使って室内をコーディネートすることになったと考えていたのですが、その後、やる仕事やる仕事、同じような問題に突き当たりました。それだけでなく、住宅以外のオフィスや学校などの施設においても、同じような問題があることが分かってきました。さらに言いますと、通常の設計者が使ってきた従来の設計方法−−これは近代建築をもとにした設計方法なのですが−−を用いている限り、そういったさまざまなモノの存在を無視した上でスペースを美しく見せることになるだけだ、ということも分かってきました。そこで、これは当初考えていた以上の問題が潜んでいると考えるようになり、「ドメスティック・ランドスケープ」という言葉を使うようになり、ひいては「近代建築のやりかたではもうダメだ」と考えるようになっていきました。ちなみに、現時点での僕は、「現代建築は、近代建築に対して決定的に異質なものになるだろう」と確信しています。近代建築の時代と現代との間には、後戻りできない変化が生じているからです。このことについては後で説明をします。