アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
これは、私の祖父が1911年に設計しました、豊橋のハリストス正教会です。そのイコノスタスが見えています。木造の教会です。ハリストス正教会の中で重要な位置を占めるのがこのイコノスタスです。イコンが集まった聖壁です。中央に王門があり、ここから司祭など聖職者が至聖所へ出入りするといういわば神の国への門にあたります。イコンとは聖書に出てくるイエス・キリストや聖人たちの像やキリストにまつわる種々なできごとなどを描いたものですが、伝統的な描き方に則ったものです。
これはオーソドックス教会にとっては大切なもので、イコンとはイメージに通じ信仰の証しであり、信仰の対象として長く伝えられてきたものであります。これらのイコンにより埋められた場所が教会です。イコンは単純で形式的なものの中に限りない深みを表現しておりますが、神の肉体を表す装飾性を持つことも注目すべきことと思います。
こちらは、ある豪邸の仏間です。全部黄金でできております。日本の典型的な仏間の形式だろうと思います。金の使い方は、わが国では実体的価値よりもその機能的価値を重視した方法が多く用いられたように思われます。たとえば屏風のように。イコノスタスなどに見るビザンチンの色は、赤と青と金です。ほとんどがその色で統一されています。そして白が純白を意味して、そこに加えられます。金というのは色ではありませんが、装飾性にとっては重要なポイントです。金は人類にとって実に魅力のあるものですが、それをうまく使うことは非常にむずかしいことです。日本は古来から黄金の国と呼ばれているように、黄金の使い方は大変にすぐれていたと思います。金箔などの使い方は実に巧妙です。
次は、フランク・ロイド・ライトのジョンソン・ワックスの管理棟の事務室部分です。おそらく、これはライトの建物の中でも、全体が統一、統帥された空間として、非常にすぐれたものだと思います。ここで大きな特徴をなしているのが柱です。この柱は下のほうが細くなっています。色は家具も床もチェロキーレッドで、さきほどの播磨の浄土堂のように全体に真っ赤な空間です。まさに幻想的なんですが、ここはビジネス空間です。この空間を支える柱が、空間の秩序をつくっています。非常に構造的でありながら、かつ装飾的でもあるわけです。
こちらは、私が設計した横浜市少年自然の家です。群馬県の赤城山麗にあります。ここでは、以前YMCA野辺山高原センターでやった手法をさらに推し進めてみました。さらに装飾的になっていると思います。
写真は食堂を上方から眺めたものです。上に開いた壁柱を構造体として使いました。ここではロマネスク的な空間を意図しました。土くさく、しかも力強い空間が、青少年の野外活動にとって必要だと思いました。あえてこのような伝統的なかたい空間を用意したのは、最近の子どもたちが生活している空間が、あまりにも軽くて薄いという状況、学校にしてもそういう空間になってしまっている中で、ストックの持つ意味、重さが精神に与える意味を知ってもらいたいということでした。自然との対比の中に、こういう力強さがあるということが大事だと考えたからです。野外活動センターですから、周囲は原野や森林に囲まれています。そういう申での自然に対抗できる力強い空間を意図したわけです。とりわけ、食堂というのはみんなの心がひとつになり、仲間意識を生み出す場です。食をともにすることは最も精神的な要素ですから、宗教的雰囲気を持つ空間にしたいと考えました。
照明器具は、さきほどのYMCA野尻学荘の木の照明をさらに発展させたものです。装飾性というのは、ひとつの枠の中でパターンをいろいろと追求していく、どんどん深めていくということが重要であるように思います。
巨大な空間を支える柱がこの空間を特徴づけています。ライトのジョンソン・ワックスの細い柱に支えられた、非常に軽快な空間もまた同質で、私たちに非常に力強い感銘を与えてくれます。ビジネスの場としてこういう空間が与えられるというのは、大変すぐれた解法ではないかと思います。現代のビジネス空間は決してこうはなっていません。非常に均質で画一的な空間になっています。しかし、人間がそこで生活する場であるならば、そこにはよりどころになる要素があったほうがいいと思います。
次は、アルハンブラ宮殿の大使の間です。そして、片方は熊本県テクノポリスセンターのアトリウムです。この建物を設計するときに、大使の間をイメージしていました。空間の密度は異なりますが、精神は同じだと思っています。つまり、小宇宙をつくろうと考えたわけです。アルハンブラ宮殿の大使の間こそ小宇宙です。黄金のタイルで埋めつくされています。細かい装飾的な彫刻が寸分のすきもなく施されています。この空間に入ると目もくらむような陶酔の境地に違します。アルハンブラはまさに陶酔の空間の連続です
熊本県テクノポリスセンターの機能は、テクノ関係の研究団地の中心施設であり、同時にインキュベーター的機能を持つものです。インキュベーターとは、いろいろな工業や産業を育成する機関です。熊本県は他に先駆けてテクノパークと呼ばれるものを空港近くに早くからつくってきています。そのテクノパークのセンター的な施設として、いろいろな講習室をはじめ、貸事務所や食堂などが入った複合体です。当初、熊本県の細川知事は軽快な現代風のハイテク建築を希望していました。しかし、そこで生活する人たちにとって、精神的に解放感を得る場所としての建物ですから、私はもう少し素朴なもののほうがいいように思いました。素朴というよりは、人間の心にダイレクトに響く空間が必要なのではないかと考えたわけです。
熊本県テクノポリスセンターが完成したときに、新聞の記事の中でイスラム的な建築ができたという書き方をされました。新聞記者の人はよく見抜いたものだと感心しました。イスラムの空間の性質は、外に向かって無限に広がっていくという、日本の伝統的な空間とは逆で、内に向かって無限に広がっていきます。そうすると空間は高められて、どんどんと装飾的になり、内部増殖が極限に達します。熊本の建物のほうは、イスラム的といっても日本ですから、適度に開放的です。アルハンブラの空間の集中性に比較すると問題にならないほど開放的です。しかし、ミクロコスモスをねらったという点では、全く同じです。私は、現代の科学技術の背後にある宇宙感覚をこの建築で表現してみたいと考えたのです。
次は、またアルハンブラ宮殿ですが、獅子のパティオと呼ばれる部分です。ここは、アルハンブラの中でも最も見ごたえのあるところです。このスケール感、柱の太さ、プロポーション、屋根の大きさ、そうしたすべてが実にすばらしい。アラブの人々は水の音をことのほか大切にします。ここでも水が流れて、重要な要素になっています。
こちらは、名古屋の近郊にある一宮市博物館です。獅子のパティオに匹敵するような空間をつくりたいと思ってつくったものです。当初はビザンチン的空間をねらっていました。敷地が狭く細長いため博物館を配置するにはむずかしい条件のものでした。しかし、設計条件が厳しければ厳しいほど設計はおもしろくなるものです。ここでは細長い敷地を逆手にとって、通路そのものを空間化していくことを考えました。敷地の関係からこの建築のエレベーションは外からは見えません。建物を内部化せざるを得なかったということです。これは、イスラムの空間の持つ特色のひとつです。
イスラム建築は、基本的には砂漢に建っているものですから、もっと広がってよさそうなものですが、近づいていくと土の壁が変哲もなく建っているだけです。ところが内部へ入ると、そこにはめくるめく官能の世界が広がっています。イスラムには外という概念はないのです。内に向かっているわけです。一宮市博物館をそういう空間にしてみようと考えたのです。この建築には中庭をつくりました。アルハンブラの獅子のパティオのように、ここにこの建築の中心を置いたのです。この中庭には柳原義達さんの鳥の彫刻を置き、鳥の広場としました。
次は、さきほど話しにでましたYMCA野辺山高原センターです。この作品以来、私は装飾に興味を持ち続けてまいりました。
こちらは、フランク・ロイド・ライトの設計になる目自の自由学園です。私はこの空間が非常に好きです。まず、スケール感がアットホームであり、子どもたちの生活空間としてふさわしいスケールを持っております。私が野辺山高原センターに求めたものは、生活空間であることと同時に、一種の宗教性、神の家ということをイメージいたしました。自由学園の空間も、析りの空間であります。敬虔な気持ちを起こさせる空間になっています。
野辺山高原センターも土臭く、力強いロマネスクをイメージしていました。同時にゴシックの持っている、樹木とか人間、十字架といった要素をオーバーラップさせ、それらを透視して出てくるイメージをねらってみました。ロビー空間にみられる柱は、木をシンボライズしたものです。木は手を広げた人のような形をしています。その幹の部分にコンクリートの凸目地を施しました。この打放しには大変な技術を必要としました。コンクリートの打放しに三角の出っ張り目地をつけることが、すなわち装飾性であります。この三角目地がこの空間に密度感を与えています。その他にも、小叩き、打放しの型枠の変化などでコンクリートの材料の持つ美しさを引き出すことを考えました。
このように材料の持つ生命をどうやって引き出すかということもまた、装飾の大きな目的であろうと思います。その意味では、「Less is more」といってるミースさえ、見方によればかなり装飾的だといえます。彼の特性は、全体の幾何学的構成が非常に強くて、シンプルに見えますが、ディテールなど納まりをよく見ると、まことに装飾的であると思います。素材の持つ持ち味をどう生かすか、どうやって生命を引き出したり、付加したりするかということが空間の密度を高める上で非常に大切であることがわかります。現在は、そういったことのできる機会が少なくなっています。ユニット化されたり、パーツになってしまって、そのアッセンブリーではどうしても生きた装飾にはなり得ません。工場でつくられた額縁やくり型などは装飾というにはいかにもお粗末なわけです。
これは、さきほどの赤城山麗にある横浜市少年自然の家に付属している体育館です。これは、周辺の森の避難施設でもあります。周辺の森林でキャンプしたり散策をしている人たちが雨や嵐に合ったときの避難施設ともなります。
ここでは、集成材によるリブ状の梁を持った木構造の屋根を採用いたしました。最近は木構造といっても鉄骨造のように用いる例が多くなってきました。たとえば立体トラスなどは木の持つ不均質性を克服して均質な工業製品と同等に扱うというケースがよく見られます。私は逆にあえて集成材の単材によって、木材の持つマッシブな美しさを追求しました。一方は軽く見せる、一方は重く見せるという、全く反対の方向です。このように材料の持ち味を生かすというところに装飾が存在します。装飾とは伝統的なもので、保守的なものでもあります。保守的なものから新しいものが生まれてくるのであります。建築の空間で大切なのは、その空間を共有することによって、いろいろなイメージが伝わることでありましょう。そのイメージを伝えるものが装飾であります。伝統的な手法の中に装飾性の秘密が隠されていると思います。
この体育館の屋根は鋼板を使っています。上から見ると甲虫のような形をしています。その形態をつくっている梁の形は昆虫の腹や背中にあるリブと同じであります。木造の梁はスリーヒンジのアーチとなっていてジョイント部分はスチール治具になっています。このアーチは、コンクリートの柱で受ける形になっています。私は建築のカの流れ方がよくわかる構造体が望ましいと考えています。カの受け具含がどうなっているか、を視覚的に強調するのが装飾の働きであります。私は構造と装飾と一体となった状態が一番理想的な形であると思います。さきほどの播摩の浄土寺の虹梁とか斗組の装飾的なあり方を、現代の建築において、再現してみたいと考えたものです。
次は、コルドバのメスキータ、つまりモスクです。これは巨大なモスクです。内部は暗くて、観光客がお金を払うと、そのときだけ電気をつけてくれるというようなところです。幻想的な繰り返しによる。宗教的な空間の特性がよく表れている建物です。この巨大なモスクの空間は柱によってつくられています。柱というよりアーチといったほうがよいかも知れません。そのアーチは独得の縞模様がつけられ、いっそう華やかで密実な空間となっています。装飾性の特性は前にも申し上げました通り、反復性、陶酔性、遊戯性、統帥性、付加性、詳細性などですが、メスキータで感じたことは、人間性の持つ深さ、暗さであって、これを示す光と闇の綾なす空間が装飾の原点ではないかということでした。
こちらは、さきほどの捧誠会の御霊所です。ここで見られる、幾重にも繰返される、精神的な高まりの表現は、コルドバのメスキータと同質のものを目指しています。空間の盛り上がりを演出することも、やはりまた装飾的手法といえます。