アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
いままでは、屋根とか内部空間を主題にお話ししてきました。次は回廊です。
これは、態本県テクノポリスセンターです。なぜこんな複雑な柱なのかという疑問があると思います。熊本の明るい太陽の光を受け、そして建物に深みを持たせようというのが目的です。建築にとって重要なのはエレベーションであり、そのフェネストレーションであります。フェネストレーションとは影のデザインであり、光をどのように砕くかの方法と思います。
こちらは、トーマス・ジェファーソンのバージニア大学です。ジェファーソンは私が最も尊敬するアメリカの建築家です。政治家であり、第三代のアメリカの大統領です。ジェファーソンは三つ大きな建築をつくりました。彼の自邸であるモンテチェロ、回廊のあるバージニア大学、そしてバージニア州のキャピタルです。バージニア大学は私たちに大きな示唆を与えてくれます。大学とは一体いかなるものかということを教えてくれます。日本の大学はいまや混乱しています。大学キャンパスが大都市郊外にたくさんできておりますが、みんなトンガリ帽子がついて、どこかメルヘンチックで、コマーシャリズムの臭いがただよっています。そこから大学の理念が伝わってこない。そんな建物ばかりです。大学には大学の設立理念があるわけで、それが正しく表現されているべきだと思います。これは教会建築と同じです。バージニア大学は、実に見事にそれが表現されています。
バージニア大学は、彼の自邸モンテチェロがいっぱい集まってできているようなものです。上階に教授の住まいがあり、下階は教室です。そのまわりの回廊のところに寄宿舎がついています。それらがひとつのスクールを形成しています。人間の魂を受け渡す場です。単なる知識や技術の受け渡しではなく、独立した人格が集まって、魂の受け渡しをするところが大学であると思います。そうした理念を形態で表しているわけです。ここではパビリオンのひとつひとつが回廊でつながっています。この回廊は空間、建築群を水平に統帥する大きな役割を果たしています。建築における水平要素は民主主義を象徴するものといえるでしょう。
熊本県テクノポリスセンターの回廊も同じ考えです。イメージとしては、ジェファーソンのモンテチェロの回廊をもとにしていますが、形はイスラム的です。コンクリート打ち放しの列柱は分散された建築物全体をつなぎ、将来はさらに建築が増設されるにつれて、回廊が伸びてひとつのサークルになって広場を形成するということを目論んでおります。
列柱回廊は世界に多数の例がありますが、バージニア大学の回廊ほど、スケール感といい、空間といい、ひとつの理念の表現としてすぐれたものは他にないと思います。実に美しいものです。建築の魅力をつくり出したいと、私は最初にいいましたが、建築の魅力とは、この作品に見られるようにジェファーソンの大学にかける理念が、この空間に身を委ねることで、身体を通じて感じられる、これが建築の大きな魅力ではなかろうかと思います。こういう建築をつくりたいものといつも思っております。
これも、熊本県テクノポリスセンターです。私の意図、つまり光と影、熊本の太陽をどう表現するかということがよく表れている部分です。自然を反映するものとしての建築のあり方をここでねらっています。バージニア大学に匹敵できるとは思っておりませんが、同じものを意図してつくっています。
次は、世田谷美術館の回廊です。ここはひとつの都市です。いろいろな建物を分散して配置しています。分散している理由は、自然環境に溶け込む、周辺環境に連続させようとするためです。神社仏閣などにもそういったものがありました。世田谷美術館ではそれらの雅やかな日本の空間を意識いたしました。また、雅やかというものを考える場合、ウィーンの王朝的美しさを感じさせるオットー・ワグナーのイメージもちらほらと胸をかすめていたことも事実です。日本の伝統的な回廊ですぐれたものは、安芸の宮島だと思います。自然と建築が非常にうまくマッチしています。
世田谷美術館の回廊を支える方杖です。三角形を使うとライト的雰囲気になりますが、こういうものを持たせる方法としては三角にならざるを得ないわけです。フライングしている梁は機能的にはあまり必要性はありません。しかし、全体を統帥していく上で、この庇は重要な役割を果たしています。
これは、一宮市博物館の回廊です。全部アールをとっているのは、直線では人間の意志とか目的といった理性は表現し得ても、人間の感性は表現できないと考えたからです。
これは、島根県津和野の大鼓谷稲荷神社の朱の鳥居のつらなりです。人間の欲望の象徴といえましょう。大願成就するとひとつ建立するものです。その願望の象徴が延々とつながって蛇のようになっています。 蛇のような曲線、うねり、繰り返し、蛇腹といったものは、装飾の重要なポイントになるものだと思います。人間の欲望や官能、そういったものに対応する形態ですから、装飾の原点といえましょう。人間の欲望と同時に、装飾の持つ根元的な意味を垣間見せてくれるのが、この鳥居です。
次は、さきほども出ました捧誠会の御霊所の回廊です。富士山が真正面に見えます。このカーブも人間の心を豊かにするカーブです。何度もいいましたように、回廊の意味はばらばらの要素をつなぐという水平線強調の機能があります。その点、世俗的ななじみやすさを生み出すといえましょう。これに対して柱とか塔は垂直指向、天と地をつなぐ柱であります。これは宇宙軸であり憑依体であります。そして人間の成長とか向上心などを示すものなのです
これは、世田谷美術館のパーゴラの柱です。
ブリッジを回廊の一部とすると、これもまた、ものとものをつなぐ重要な要素です。橋は私たちに、いろいろロマンチックな記憶を感じさせてくれます。
これは、世田谷美術館の広場です。サンクンガーデンの上にエントランスから入ってくる、橋懸りの部分です。橋はひとつの場面転換をするための要素として使ったものです。これからいよいよ展示空間に入るという心がまえの空間です。アプローチにはゲート性も必要となります。
これは錦帯橋です。これこそ装飾性と構造とがひとつになったものであります。橋を下から見る機会はあまりないものですが、下から見上げると構造体がよく見えます。世田谷のほうは、ジェット機のお腹のようなイメージでつくっています。下から見上げられることを意識しています。錦帯橋のほうは組物でつくっています。ディテールはまことに機能的です。持ち出しの梁のひとつひとつに屋根をかけて、庇をかけて雨がかからないようにするなど、機能と形態が一体になって装飾性を感じさせます。日本のすぐれた伝統的デザインであると思います。
これは、熊本県テクノポリスセンターです。光と影の関係を出すために、こういう奥行のあるデザインをしています。
熊本の自然をいかに建物に反映させるかと考えた結果です。自然を建築の構造としてとり入れたいというのがこの設計のテーマでした。
これは、私の家の玄関の柱です。私の祖父が豊橋のハリストス正教会で、四角い柱でこれと同じような柱をつくっています。それを私は見て知っていました。
それは宇宙を示す球とそれを支える角錐なのですが、それを私は挽き物にできるように円柱でつくりました。この中間に宇宙を示す球を入れています。柱というものは、空間に場を与え、場に空間性を与えます。
柱は塔に通じると思います。私たちは心の中に塔を持っていると思います。建築をつくる場合、必ずその塔が具体的な形となって表れてきます。人生もひとつの塔でありましょう。積み重ね、天に届くものであります。塔は人間の多次元性を象徴するものといえましょう。塔の表象に心を読むことが可能なのであります。