アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
これは、一宮市博物館の展示場です。上からトップライトをとっています。
こちらは、世田谷美術館の企画展示場です。世田谷美術館については、後ぼどさらに出てきます。世田谷美術館のコンセプトは、まちをつくろうということでありました。種々の形の建物の集合体になっています。世田谷美術館のメインテーマは回廊です。分散配置された展示物を相互につなぐ役目を持たせたものです。回廊は空間を水平に統帥する働きを持つ大切なものといえましょう。一宮市博物館は幾何学的な曲面を使っています。敷地の配置計画上、人をうまく導入しなければならないという要求とやさしさを表現したいた古めに形が決まってきています。空間を覆う構造体をいかに美しく見せるか、力の流れを人にいかに感知させるのかということは大変重要です。
世田谷美術館では、構造体はほとんど隠れてしまいました。経済的でもありますし、美術館という機能上からは、室内にあまり凸凹をつけるのは望ましくないと考えたからです。しかし、空間構造が不明快ということは、空間の高まりに欠けるような気がしました。そこで、展示上影響の少ない天井に、放射状の梁を表しました。世田谷の企画展示場と同様、一宮市博物館の展示場も曲面の壁を持つ構造としました。
この一宮というところが織物で栄えたまちであるため、これまで用いられてきた織物の機械を展示するために、工場のような雰囲気をつくろうとして、トップライトをとっています。階段は木造で、機織り機のイメージを表しています
これは、世田谷美術館のエントランスホールです。ここにひとつの宇宙をつくりたいと考えました。天井は、当初はトップライトで処理したいと思いましたが、いろいろな問題で、トップライトをつけられずに人工光線になっています。明るい、自然光でこの空間を満たしたかったわけです。光もまた装飾的に扱うことが可能です。
こちらは、トーマス・ジェファーソン設計のバージニア大学の図書館です。こちらは自然の光が入ってきているドームです。この図書館は円形です。その円形を囲んだ列柱の中に小さなアルコーブがたくさんついて、各々が読書コーナーになっています。本棚はその間にあります。中央は大きなホールになっています。これはジェファーソンの図書館に対する考え方が明確に表現されていると思います。アスプルンドの図書館なども、図書館の理想をよく表している好例ですが、このバージニア大学の図書館もよい例でしょう。問題は平面が円形をしている点であります。四角い平面形は機能的ですが、アールとなると非常に強い自己主張が感じられます。曲線とか曲面はそれ自体装飾的な存在といえないでしょうか
次は、世田谷美術館のアートホールです。これも平面は扇形をしています。こちらは、一宮市博物館のエントランス部分の見上げです。アールの外壁の内側にフレスコ画が描かれています。一宮のまちのイメージを、絹谷幸二さんのフレスコ画で表現してもらいました。
絵画や彫刻は、本来は建築についていたのに、それが近代になって、美術館や博物館ができてきて、絵画には額縁がつき、彫刻には台座がつきました。そして絵画や彫刻は建築を離れて一人歩きを始めたのです。美術の独立性は認めますが、今日の建築と美術は全く別々になってしまいました。再び美術が建築と一体化することを考えるのは時代錯誤なのでしょうか。いまや美術の範ちゅうは大きくひろがっています。建築に限らず、大きなものや、生命の短いものまで含めてあらゆるものが美術のジャンルに入ります。しかし、古典的な美術と建築が一体化していたことを、もう一度考えてみることも重要であると思います。いわば、現代は美術もフロー化してしまっている時代です。やはりストックということの意味をもう一度考え直してみたい。日本ではもはやストックの文明はあり得ない、ストックとしての建築も望めない状況にあるようです。美術すら情報化され、記号化されてしまいました。ポストモダンといわれるものも考えてみれば美術や建築のフロー化に他なりません。生命の短いものに美しさを求めるというのは、日本人の美意識でもありますが、建築までもフロー化され消費されるのはどうかと思います。フローの文明から、果たして次を産み出すカがあるのだろうか、というのが心配です。絵画は非常に伝統的な要素を持っている芸術のひとつですが、それをもう一度、建築の部分として組み込むことが必要だと思います。できるだけ多くの画家や彫刻家の方々と共同で、建築空間をつくっていきたいと思います。
これは、フランク・ロイド・ライト設計のアリゾナ州フェニックスにあるビルトモアホテルです。ライトの建築は、これからの装飾のあり方に示唆を与える要素がたくさんあると思います。帝国ホテルがなくなったいまでは、ライトが設計したホテルはこれひとつだと思います。ライトの弟子の遠藤新さんの設計になる甲子園ホテルは日本に現存していますが、少し装飾過剰のような気がします。しかし、ビルトモアホテルは、装飾が欠くべからざる要素としてすべての部分が成り立っています。この建物は、コンクリートブロックでできています。この当時、つまり1912〜3年あたりだと思いますが、ライトはカリフォルニアでも同じ手法を使っております。外部の材料が内部まで入り込んできています。中二階があって、その高さが非常に低く抑えられています。それが実に人間的な雰囲気をかもし出しています。梁は段状に切れています。そこに照明器具がついているのですが、それは、照明器具というより、建物の要素になっています。ライトは照明だけでなく、家具などもすべて建築化しています。つまり、ひとつのディテールは全体の部分として、部分はまた全体を示すものとして、全体と部分がうまく調和しています。ひとつひとつの装飾的なものに意味があり、決して無駄なものでも、余計なものでもないという点が大変すぐれていると思います。
おそらく、ビルトモアホテルというのは、アメリカのリゾートホテルの中でも最高級に属すと思います。もっと便利で快適なホテルは数多くあるでしょうけれども、ここにいますと、非常に落ち着きますし、精神の安らぎがあります。ホテルとは、そうしたホスピタリティ、人のもてなし方が基本です。日本のホテル、特に最近の新しいホテルはどちらかというと、装飾過剰だろうと思います。ビルトモアホテルは適度な装飾で、これこそ本当の装飾といえるものでしょう。暖かく包み込まれます。ライトの人間性が感じられる空間です。そういうものを私もねらっていきたいと考えております。
こちらは、私の設計した横浜市立本町小学校です。オープンシステムの学校です。この小学校は桜木町駅の近くで、大変古い伝統のある、横浜一中と呼ばれていた学校です。これが老朽化して建て替えということになり、PTAや先生方や教育委員会によって長い時間をかけて練り上げたオープンシステムの学校が実現できています。これは、ひとつの大きなワンルームであります。学校はひとつの大きな住宅であるというコンセプトで設計しました。
次は、ニューヨークのコンベンションホールであるジャビッツセンターです。今年六月にAIAの大会がここで開かれ、私も出席しました。曇り空に雨まで降っていましたが、ガラス張りのこの建物は巨大さのため何の影響もありません。全くの人工環境といった感じであります。すさまじい空間でした。アメリカの建築というのはほとんどがこんな感じになっているといえます。巨大な空間をつくるトラスやラチスやスペースフレームは機能的な造形であっても巨大さ故に装飾的に見えるほどでした。
こちらは、私の家のガレージです。ニューョークのとは大きさはまるで雲泥の差ですが、考え方は全く同じです。ニューヨークは鉄が使われ、私の自宅は木を使っています。双方ともそこに色を使っています。建築の全体像、空間の成り立ちを見せようとすると、やはり構造体をむき出しにするのが手っ取り早い方法です。私の自宅のガレージは2台分のスぺ−スです。東京は大変に地価の高いところですから、このスペースを車だけに占領させるのはもったいないと考え、車をどければパーティー会場になるようにつくろうと思いました。天井をガラス張りで抜いています。周囲が建て混んでいますので十分に外光をとり入れるために、ガラス張りにしました。そのかわり、夏は灼熱地獄で、車は暑くてとても車の内部には入れないというあり様です。
色も装飾のひとつです。私たち日本人は素材の持つ色を大切にしてきました。待にペンキ塗りはあまり好まれなかったといえます。しかしペイントを塗る、という行為は装飾的なものといえないでしょうか。化粧とは地肌を覆い塗るものであります。色はそれ自体意味を持つものであり、その用い方はその造形を強調したり、同化させたりするのです。私はこのガレージの木造の構造体に色を塗ることで装飾性を強調したのであります。因みに、小屋組の合掌と梁と貫の色は全部違うブルーです。五色の違ったプルーを使い分けています。白もグレーに近いものまで四段階ぐらいに色分けして使っています。扉もレリーフ状にパターンをつけてペイント塗りの効果を考えました。上部からの光をあらかじめ計算して影の縞模様をつけています。照明器具は、手づくりでベニヤ板を切って大工さんと一緒につくりました。灯具もペイントで塗っています。