アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次は、外壁の問題を少しだけお話ししたいと思います。
これは、ビルトモアホテルの外壁です。アリゾナのフェニックスですから、その土地個有のパターンをモチーフにしています。ヤシの葉などがあります。ライトはこれをコンクリートテキスタイルと呼んでいます。編み物か織り物のような感じです。私も実際に見たときに、その装飾の表面性に大変魅力を感じました。
こちらは、世田谷美術館の外壁です。外壁をいかにデザインするのかということが、現代の建築の大きな課題であります。適当な材料がなかなかありません。しかも、外壁はどうあるべきかということについて、機能的には簡単に答えはありますが、空間の意匠として、デザインとしてどうあるべきかと考えると、非常に答えがむずかしいものです。世田谷美術館は石器質の穴あきタイルです。それをプレキャストコンクリート板に打ち込んでいます。7×2メートルという大きなPC板です。そして穴あきのこのパターンは、PC板の目地をどうして消すかというために用いたものであります。市松状にタイルを張った外壁もPC板です。タイルの表面をブラストしています。タイルという材料自体、硬いために、タイル張りの建物でいいものはなかなかありません。なんとかタイルの表情をソフトにするために、いろいろ工夫してみました。PC板をつくるときに、目地を大きくとり、ゴムのパッキンをかませて型枠にしています。表面のブラスト、大きな目地によって、コンクリートの面が見えてくることなどで、陰影をつけてソフトでナチュラルな外壁にしています。
建物の壁は、いかに光を受けとめて光を砕くかという、その分割の仕方にデザインのポイントがあると思います。
これは、ウィーンのオットー・ワグナー設計の郵便貯金局の外壁です。大理石のピースをアルミニウムでキャップをしたボールトで止めていまげしオットー・ワグナー独特の手法です。当時は、石材はまだ張り物としては考えられていませんでした。積んで使うものでした。ところが、ワグナーは鉄筋コンクリートに薄い石を張ったわけです。そしてビスで止めています。その表現方法は非常に装飾的です。このオットー・ワグナーの手法をなんとか私なりにやってみたいと考えておりました。世田谷美術館でも、ビスをいろいろと考えましたが、結局わずらわしくなるだろうと考え、それはPC板へのタイルの打ち込み方の目地の工夫に止めました。これが装飾的要素として効果が出せたと思います。
これは、捧誠会御霊所の拝殿正面の外壁です。ここでは構造的あるいは機能的なことから考えたものではなく、ただ単に曼茶羅をつくりたかったわけです。四角い枠のなかにいろいろな宇宙を彫刻で細かくつくりたかったんです。ところがそれではあまりに予算がかかりすぎるということで、色だけにしました。トルコブルーを使いたかったのですが、結局、日本の空に合う少し淀んだ色にしました。これは宇宙を象徴しています。一枚のタイルは12センチ角ですが、そのタイルの白い枠の部分に中央の青い部分を焼き込んでいます。これは世田谷美術館のタイルと発想は同じです。はじめは、青い部分は全部抜けて枠だけというものを考えておりました。
これは一宮市博物館の外壁です。タイルの引っ込めた部分を逆に出っ張らせています。それで市松模様にしました。庇の先端もテラコッタを用いました。先端部分は打ち放しのままだと、水がたれて汚れます。アールの部分になると、その陰影のおもしろさが倍増します。影をつくって立体感を出すためにパーゴラをつけています。腰壁は洗い出しです。それはテクスチャーを考えて、対比をねらって決めています。
これは、私が意図した光が砕かれた様子です。上からきた光が一様にかかります。その壁が全く平担だとなんの表情も出てきません。表情をどうつけるかということが外壁のデザインの要素です。沖縄の美術館の外壁でいま新しく考えているタイルは、この考えをさらに発展したものです。沖縄の強い光を受けるために、ちょっと特異なものを工夫し考案中です。
これは一宮市博物館の中庭にある、柳原義達作の「道標」という名の“からす”です。一宮からすというと悪口になりかねないので、からすはあまり置かないで欲しいといわれ、あとは鳩になっています。きょうは建物の全体のわかる写真は一枚もありません。一宮は近いですから、ぜひ機会をつくってご覧いただきたいと思います。
これは、熊本県テクノポリスセンターの外壁です。一枚のタイルにアールの水切りをつけています。それをコンクリート打ち放しの間に入れ込んでいます。この影の組み合わせをどうつけるかが、私のエレベーションの基本的な考え方です。昔は、エレベーションには全部影をつけたものです。いまはやらなくなりました。かつて建物の凸凹は非常に重要だったわけです。ところが、近代建築になって、建物のエレベーションは平滑化され外皮になってしまいました。たしかに、そのほうがモダンでしょうが、建物の深みは感じられません。建築のファサードは建築の持つ深層を表すものでありました。フェネストレーションは建築家の大切な仕事だったのです。人間の心を建物に投影するには、凸凹が必要なのです。ゴシック建築はそのディテールに神が宿るということと同じように、私たち人間の心は、建物のひだや凸凹に宿るものだと思います。
これは、最近作の小さなインテリジェントビルである麹町三景ビルの外壁です。ひとつひとつのタイルはかなり大きなものです。円筒形で無垢でつくっています。重厚長大は時代錯誤でありますが、人間はどうしても“もの”から離れることはできません。インテリジェントビルにはどうしてもこういうディテールが欲しかったわけです。
私はこれまで装飾を語ってきました。しかし、結局は空間を語ってきたことになります。装飾とは精神の肉体化と考えてよいでしょう。人間の精神が建築をつくるのでありますが、その精神を受け止めるのは情念や装飾で覆われた表層からです。以上です。長時間ありがとうございました。(拍手)