アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
これは、新潟県新発田市の蕗谷虹児記念館です。市がつくった画家個人の作品のための美術館です。
こちらは、私の祖父のつくりました函館のハリストス正教会です。この建築の本質は塔であると思います。私は、いつかどこかでこのような建物をつくってみたいと考えておりました。なにか機会はないものかと待っていたところに、蕗谷虹児記念館の設計の機会がめぐってきたのです。
蕗谷さんの業績をいろいろ調べました。ロシアというよりむしろ彼の足跡はフランスです。しかし私は直感的にロシアをイメージしたのです。大正末から昭和初期にかけてが彼の活躍した時期です。大正デモクラシーと呼ばれるように、一抹の暗さはあっても、なにかそこにほのかな明るいものが見えていた、安らぎのある時期であったと思います。日本人はシベリアとか大陸に深い憧憶の念を持っていました。ロシアの自然主義文学の影響も見逃せません。そのような時代精神を表す、蕗谷虹児の生きた時代を象徴するような形態をハリスト正教会に求めたのでした。
私は人間蕗谷の塔を建てたかったのであります。彼の生い立ち、挫折感、激動の青春、歓喜とやすらぎ、これを塔で表したかったのです。あたかもべ−トーベンのシンフォニーの如く、苦悩から歓喜に至る過程を形態にて示したかったのです。この建築は塔と平屋の部分から成り立っています。塔は彼の人格と人生、平屋部分は彼の業績を示すものです。これと橋懸りはこの土地とのつながりを象徴しております。
豊橋のハリストス正教会は、私の好きな建築で、木造です。現在も立派に生きて使われております。ここにも塔があります。塔は覆われるドームのように内面に向かって天をつくらず、外部に向かって緊張し、塔の底に横たわっている聖霊の存在を周囲に告知せしめるものです。土地の持っている造形と塔の形態は無関係につくるわけにはいきません。そこで新発田の場含は、日本海側の陰うつな、冬の期間の長い街にあって、シベリアなどから渡ってきた造形の持つ寂しさ、なつかしさといったものを表現してみたいと考えました。
豊橋のハリストス正教会の塔は、額縁がつき、南京下見の先が全部アールになっていたりして、大変手が込んでいます。職人はとどまるところを知らない精緻さ、精密性にこだわっていくという性質があります。幾重にも繰り返されるくり型は宗教的要素となっています。これらの装飾的な要素はキエフなどの古代ロシアの寺院建築に見られる漆喰のくり型と同じ形態なのに驚かされます。それを日本の大工は木造で忠実に表現しているわけです。大変な技術です。この建築は、ロシアの伝統的な教会と比べても決してひけをとらない、立派な作品だと思います。
隣接する市民文化会館・公民館の外壁はコンクリート打放しに三角形に出っ張った目地をつくっていますが、蕗谷虹児記念館ではタイルでボーダーをつけています。両者は同じようなイメージで連続感を持たせながら、それぞれの独自性を出そうといたしました。文化会館、公民館はやはり私の設計で七〜八年前にできたものです。これらの建築があるから、この塔が生きてくるわけです。既存の建物とのアンサンブルが建築には重要です。塔は都市のどこからでも見えるわけですから、塔は都市を荘厳するという意味において、大変重要な要素です。
スーズダリーにある伝統的なロシアの教会の尖塔は、夕陽に映えて金色に輝きます。ロシアの平原の夕陽は真っ赤に燃え立ちます。ロシアの原野は非常に美しい、特に秋は見事なんですが、そこにいくつもの塔がシルエットで見える、そういう光景を見ると神の国を実感できます。多分、当時のロシア全土はこれらイコンによって満たされていたと思います。
蕗谷記念館の塔は、光の塔としての意味もあります。内部の光がほのかに見えて、灯台のように、街のシンボルになるようにと考えて設計しました。内部は円形ですが、四つの小さなドームが集まってひとつの大きなドームを支えています。そのひとつがミクロコスモスで、それが集まって大きなコスモスをつくっています。ここはメモリアルホールとして、彼の遣晶や重要な作品を並べています。つまり、彼の人格を象徴する空間が、彼のそうした作品で埋められているということです。その構造を見せるために、半球状の小さなドームがついているわけです。外壁の腰壁部分はコンクリートの洗い出しです。洗い出しという手法も伝統的なもので、いわば職人芸です。コンクリートの型枠に凝結遅延剤を塗り、打ってすぐにはがして水洗いをするという、むずかしい手法です。
こうした手法は、近代的工法には合わないという問題があります。装飾というものの持つ問題性がまさにそこにあるわけです。現代において、装飾を考えるためには、伝統的な手法にだけ頼っていくことでは十分とはいえません。それを、どうしたらいいのかというのが大きな課題です。
ビザンチンのドームは四角い平面の上に半球が乗っています。しかし、この記念館では球体の外側にフライングバットレスをつけました。構造的には必ずしも必要なものではありません。ドームの球を強調するために必要だったわけです。フライングバットレスがあると陰影がついて、球を強調できます。つまり装飾としてのフライングバットレスです。
メモリアルホール内部の床はトラバーテンです。全体の空間の成り立ちを象徴するようなデザインとしてまとめております。
塔は都市を荘厳するといいましたが、その好例がこれです。長崎・西坂の二十六聖人記念碑のある前の聖フィリッポ聖堂の塔です。今井兼次さんの設計です。これはガウディに似ているといわれますが、私は全く違うものだと思います。コンセプトが違います。内部に入ってみるとそれは一目瞭然です。この塔も含め、すべての要素が内部では地面についてないというか、途中で消え入っています。キリスト教の塔は尖塔があって十字架がついていますが、こちらは全部ひろがっています。木の幹のようです。これは大変ユニークな解法です。
この塔は、現世のごちやごちやした俗の中にある聖です。長崎の場合でも、坂道の両側には看板あり、洗たく物ありです。かつて二十六聖人が十字架を背負って登った丘なのですが、現在は俗化されています。こうした俗と聖としてとらえるとまた別なユニークさも見えてきます。大地に立つというより、天から吊り下がった塔のように見えます。こうした塔のあり方は私たちに深い感銘を与えてくれます。それは非常に世俗的だからと思います。日本の仏塔は明確に分節化されています。それは天に向き、なおかつ現世の延長としての西方を指向しているからではないでしょうか。
次は自然環境の中にある塔です。これは私たちに安らぎ、安堵感を与えてくれます。
これは薬師寺の塔です。東塔と西塔があります。こういう塔を眺めていると、凍れる音楽いう表現もよくわかるような気持ちになります。自然環境の中でも人工の美しさがあす。これらの塔はあたかも巨木に見えます。これこそ生命とか再生のシンボルであります。
こちらは、YMCA野辺山高原センターです。ここでの塔は、分散化された施設群を統るための機能があります。いま京都で国際日本文化センターという施設を設計中です。そこでは、塔と回廊と大きな屋根を中心に、ひとつの都市的な施設にしたいと考えております。
これは、横浜市少年自然の家の塔で、鳥の塔と呼んでいます。見渡す限りの森林のなかにあるため、子どもたちが野外で遊んで帰ってくるときに、なにかよりどころになるようなもの、自分たちの家のシンボルになるものが欲しいということで、実現した塔です。私は青少年の心の中の塔を自覚させたいと考えたのです。
この鳥の塔はいわば物見台ですが、YMCAと同様、全体に分散された施設群を統帥するものという意味からは、欠くべからざる要素になっています。
これは、さきほどの捧誠会の御霊所です。そこで彫刻家の関根伸夫さんにデザインをお願いした敬霊塔です。信者の人たちの慰霊の塔で、納骨堂が下にあります。私はこの塔でひとつの宇宙を表現して欲しいと関根さんに注文しました。そこで彼は立体曼茶羅をつくったわけです。この御霊所の外壁のタイルも実は曼茶羅がモチーフになっています。
談山神社の十三重塔は装飾性の強い塔です。繰り返しのある形を下から見上げるアプローチとなっています。日本の塔はどちらかというと、水平線をこうして強調するものが多いようです。
塔の持つ階層性は数を増すほどに水平が強調されますが、それだけ世俗とのかかわりと心の迷いを示すものかも知れません。塔と柱という実体は人間の心の中に塔をつくらせ、心に宇宙を持つものが塔や柱という実体をつくるといえます。塔は私たちにとって重要なものなのです。しかし、今日その重要さが忘れられているのは大変残念なことであると思います。