アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
僕は島根県の生まれです。子どもの頃のある時期、出雲で育ちました。
今になって考えてみると、建築との最初の出会いは、出雲大社だったんだろうとおもいます。出雲大社はかつては四十八メートルほどの高さがあったといわれている建物で、現在の社殿はそれよりずっと低い建物ですが、それでも建築の本源的な存在の力、といったものが感じられます。
建築では機能や合理的な与件を解決する必要がありますが、そうしたものを超えたところに成立する建築というものもある、ということをこの出雲大社によって、幼児体験としてたたき込まれた節があって、それが今でも僕に色濃く影響を及ぼしております。
僕はカメラを全く使いません。だから旅に出るとスケッチブック片手に走り回ることになりますが、そうして描いたスケッチの中でも、バロック建築は非常に印象に残っています。ミュンヘンのアザム兄弟のつくったネボムク聖堂とか、ローマのボルロミーニ設計のサン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ教会堂なんかが特に好きです。僕の建築に影響した最初の建築が出雲大社であるとすると、その次に興味を抱いたのがバロック建築です。バロック的なるものへの憧れと、建築の本源的な存在というものに大きな影響を受け、「織陣」という作品で、それを表現する機会を与えられた、と整理できると思います。
「織陣 I 」は、ちょうど十年ほど前に発表した京都の帯屋さんの建物です。出雲的なものが建築に現れた最初の作品であろうと思います。
この計画では、建築の空間性をオブジェの関係においてつくっていこうと考えました。おそらくそれがバロックであろうし、バロックが、自らの合理性を超えて、空間性を獲得する理由であろう、と考えた末に、「織陣 II 」のプランニングを、オブジェの関係性としてとらえたわけです。エレメントの関係によって、空間の強度、力強さをつくり上げていこう、空間はあくまでも強度であると考えました。そこでオブジェの関係を、ドローイングという手法で描き上げました。B全ぐらいのおおきさで、一枚描くのに二週間ほどかかっています。その頃は随分暇でしたし、図面の上で食事をし、図面の上で寝ながらドローイングを描いていたようなものです。
「織陣 II 」は京都の西陣という、典型的な京都の町並み野中にあります。
僕の建築は、出雲やバロックだけでなく、京都からもたいへん多くの影響を受けました。その一つにスケールがあります。建築には必ずスケール、尺度があり、それが建築を、建築にして見せる理由であり、かつ建築を、技術的な所産として見せる鍵でもある、といったことを京都の空間から学びました。 建物の外側の素材と形態との関係性によって、この建築の気配を感じていただければと思います。金属と石とコンクリートという、硬度の高い材料を使って動的な力を生み出す、その力を建築自身の力として貸与する、といったことを考えました。内部は非常に狭い空間ですが、スケールを消すことによって、オブジェの関係性がよりリアルに現れるような処置を施しています。建築にとって夜景は非常に重要です。建築の姿は、夕暮れ時からようやく人々の目に入ってきます。それを考えると、夕暮れから夜にかけての建築の存在のあり方は見逃せない要素です。僕自身は建築の夜景にいつも気を使います。夜型の建築でしょうか。
ギリシャのパルテノンのスケッチは何枚もあります。スケッチをしながら次のネタを探すというわけではありませんが、何か建築の中に眠っている言葉にし得ない本源的なものに触れたいと、いつも思っています。
これは「西福寺」という岐阜県可児市に建った小さなお寺です。初めて手がけた宗教建築です。奥行が二十メートルほどしかない建築です。その小さな空間の中で、ある種の宗教的な高揚をいかにもたらすことができるかが課題でした。
わずか二十メートルの奥行の中でいかに象徴性を築き上げるか、という課題に対する解決は、奥行に向かっていくつかの層に空間を分け、それらをすべて強引に重ね合わせることで、空間にある種の抵抗感をつくり出す。そしてその抵抗感を突っ切る形で動線を設定し、奥行方向の力の高揚をつくり上げようという、非常に抽象的な解決を試みました。
一層、二層、三層と奥行方向に空間が展開していきます。天井にぶら下がっている黒い龍骨のようなものは、元々ここに建っていた既存の寺院建築の、小屋組を再生したものです。この建物の設計のときもドローイングを制作しました。この建築を大江先生に見ていただく機会がありました。そのとき大江先生は、即座に「高松君、このディテールは全部間違っているよ」といわれましたが、それは当然のことなんです。僕自身は間違えるためにディテールを考え、間違えることで力を生み出そうという悪だくみをしていたわけですから。ここの須彌壇の仏壇の寸法は僕の身体に合わせてつくってありますので、近い将来この中に入る予定です。
建築家にはいろいろな傾向がありますが、その一つに水平と垂直という指向があります。たとえば安藤忠雄さんは水平指向の建築家です。だから安藤さんが垂直的な建築をつくると、おそらく失敗するだろうとおもいます。僕の場合はどちらかというと垂直性に非常に興味を抱いており、石山寺やモスク建築といった垂直性の力を感じさせる建築を見ると鉛筆を走らせたい、という欲望に駆られます。
これは先斗町につくった「先斗町のお茶屋」です。先斗町は、いまやもう外人さんと十代の若者たちしか歩いていないというほど観光地化していますが、かつては幅一間の狭い通りで、刀の鞘が触れ合い、血なまぐさい出来事が絶えない、という緊張感あふれた通りだったところです。したがって、通りからは建築はほとんど見えません。高さ10メートルほどの小さな建築ですが、一種の塔のようにつくることを意図しました。因みにファザードの開口部の面積や色合いなどは、京都特有のさまざまな建築的規制を受けてデザインしています。窓まわりの手すりは経机のような形です。建った当初はそこに招き猫が載っていました。
お茶屋の空間は、暗黙の建築的約束事があり、床の間のまわりなど、私たちが教育を受けたスケールよりすべてひとまわり小さいスケールによってつくられています。水平のエレメントはほとんど肩から下にあります。つまり「首を切られない線」です。そういうふうな空間のスケールに関係するしきたりがいろいろありました。ひとまわり小さいスケールというのは、客を大きく見せるという理由もありますが、いわゆるミクロコスモスというか、一種の閉じられた結界をつくる独特の手法ではないだろうかと思います。それが京都では未だにさまざまな分野で連綿と受け継がれているのだと思います。いわばスケールの逆転というか、小ささを逆説的に超えたところで無限の拡がりを獲得する手法なのかもしれません。