アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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私の建築手法
高松 伸 - 形式から余白へ
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東西アスファルト事業協同組合講演会

形式から余白へ

高松 伸SHIN TAKAMATSU


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何百枚ものスケッチを描く
EARTHTECTURE SUB-1
EARTHTECTURE SUB-1

重ねていいますが、垂直的な建築のあり方が非常に気になります。世界を旅していても塔を見るとどうしてもスケッチしてしまいます。ミケランジェロの有名なポルタピアをはじめ、数え切れないほど塔のスケッチがあります。京都の東寺の塔もスケッチしています。そのような、垂直な建築へのダイレクトな関心がキリンプラザに反映しています。

大阪ミナミのど真ん中に建つ「KIRIN PLAZA OSAKA」です。

この建築の設計のプロセスの中では実に多くのスケッチを描きました。最終的な形に行き着くまでに塔の形がさまざまに変化していきます。描き始めてしばらくすると各コーナーに塔が四本立つ案が誕生します。そこまでですでに200枚ぐらい描いています。それからその塔が次第に中央に寄ってきます。ここまでくるためだけでも気の遠くなるほどのスケッチが必要です。その時点で最初のプレゼンテーションのための模型をつくります。これは結果的に最終的に完成した建物とは縁もゆかりもない案になりました。クライアントには即座にOKのサインをいただきました。ところが設計者自身がその案を十分気に入らなかったため「もう少し時間を下さい」とお願いした上で、さらに第二案をつくりました。これもクライアントに受け入れられました。ところが僕自身はプレゼンテーションのまさにそのさ中に「この建築はいかん」と思ってしまいました。またしても「もう少し時間を下さい」とお願いしたのですが、さすがのキリンビールの社長も「キリンの百周年記念の大事業をなんと心得るのか」と一喝されました。しかし敢えて約二週間猶予をいただきました。その二週間で全く違うものができてしまったわけです。ここが建築の非常に不思議なところです。ところが、もうこの段階でのプレゼンテーションになるとクライアントからは見向きもされない。とにかく時間がないから、一刻も早く建てて欲しい、ということで、非常に幸運な経過を経てこの建物が誕生したわけです。

EARTHTECTURE SUB-1
EARTHTECTURE SUB-1

皆様よくご存じの場所ですから、くわしい説明は省きますが、この通りは昼間はほとんど人通りがなく、夜歩いている人はほとんど酔っぱらっているというエキサイティングな通りです。大きなカニがバタバタ動いていたり、グリコのランナーが走っていたりする場所であるため、何をデザインしても太刀打ちできないという環境です。したがって、ここでは光をデザインすることが最大の解決だろう、建築は光のための土台にすぎないと考えました。ディテールに反射性のある材料をたくさん使うことで、街の風景を切り取ってカケラにして映し出す。いわば都市によって建築が自らを化粧する、というか、都市によって建築が鎧うというようなことを考えました。内部には研究室や会議室などの名称の部屋がいろいろありますが、初期の使用目的とは少々異なり、ビールを飲む部屋になったり、倉庫になったりしているようです。

さきほどの建築家レイモンド・アブラハムのスケッチの中に、地下の空間と地上の空間を同時に意識したドローイングがあります。もう一つ、ワルター・ピッヒラーというウイーンの彫刻家のスケッチにも、地下空間に対して独自の感性をスケッチしたものがあります。

次の建築は。これを建築と呼んでいいのかどうか迷うところですが、地下四層、地上0階の建築「EARTHTECTURE SUB-1」です。地上は光を取り入れるための「庭」です。底まで一気に20メートル下る階段があります。僕自身は未だに一気に下りたことはありません。この建築のいちばん低い部分から見上げると、独特の空間性を感じることができます。

京都郊外の音楽ホール「ECOLE」です。最近完成したものです。この辺りから建築のニュアンスが少々変わってきています。建築のヴォリュームのようなものが気になり始めました。しかし、しかし、インテリアは未だにそれ以前の、形による力の配分ということにこだわっております。

次は、今日お見せする作品の中では、完成したものの最後になる、島根県の小さな町に建つ「仁摩サンドミュージアム」です。実はこの町は僕の生まれ故郷です。

建築家にはいくつかの鉄則があります。その一つに「決して故郷の仕事をするな」というのがあります。故郷の仕事はうまくいって当たり前で、一つ失敗すると後ろ指を何千本も指される、ということです。したがって僕はずっと故郷の仕事を避けてきました。しかしとうとうその鉄則を破ってしまい、今や、五百本くらい後ろ指を指されております。

仁摩サンドミュージアム
仁摩サンドミュージアム

仁摩町というのは人口5500人で、車といえば耕うん機ぐらおしか走っていないというのんびりした町です。しかし、この建築が完成して一年半、入場者がすでに50万人を突破し、そのせいで設計ミスが暴露されてしまいました。トイレが足りなかったわけです。最近増設いたしました。

ここでは必要な空間はすべて地下に入っており、ピラミッドは実質的には光を取り入れるトップライトとして機能しています。この建築は世界一の砂時計を納める器です。建築が単なる容器になってしまいました。

仁摩町民というのは、夜七時にはほとんど全員が寝てしまいます。ところがサンドミュージアムの明かりが寄る七時頃から点灯すると言うわけで、最近、不眠症の町民が増えてしまったと聞き及んでいます。

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