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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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出江 寛 - 「綺麗」より「美しさ」—二十一世紀の建築(都市)に何が必要か
「俗」の中にこそ面白いものがある
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東西アスファルト事業協同組合講演会

「綺麗」より「美しさ」—二十一世紀の建築(都市)に何が必要か

出江 寛HIROSHI IZUE


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「俗」の中にこそ面白いものがある

俗語を用いて俗を離るるを尚ぶとす

これはよく皆さんご存じだと思うんですが、蕪村の言葉です。この言葉がとても大事なんです。デザイナーにとって一番大切なこと、それはこの「俗語」なんです。私の建築は、この「俗」が常にテーマです。俗語の本質、これが大事なんですね。俗語の本質とは、「面白い」ということです。パチンコ屋に行ったり、競馬場に行ったり、ストリップ小屋に行ったり、というあの俗っぽい世界。高貴の世界というのは面白くないんです。道徳の世界は面白くないんです。芥川龍之介は、

道徳ほどつまらないものはない。人間にとって一番大事なものは良心です。もし世界中の人間が良心を持っていたら、戦争も起こることはないし、道徳も必要でない。

道徳は未だかつて良心の良の字も生み出したことはない。

と、言っています。人間の本質は何かということです。さらに芥川は、

人間にとって大事なことは良心であるけれども、「一国民の九十パーセント強は一生良心を持つことはない。」

とも言っています。世界中の人間が一生良心なんか持たないんですよ。悪心のかたまりといえば言い過ぎかも知れませんが、人間というのは俗っぽいんです。そこで、これがデザインのポイントになるわけです。蕪村はこの「俗」ということをテーマとしています。しかし、「俗」をテーマにして「俗」に落ちてしまったらだめです。「俗」をテーマにしながら「俗」を離れないといけません。これがデザイナーにとって、また難しい。そして、ここをどうするかということが勝負なんです。

「俗」は面白い。例えば入れ墨はヤクザの象徴ではあるが面白い。 そこで「正義」と「俗」が同居している。「遠山の金さん」が面白い。一方はお役人の真面目な世界、もう片一方はヤクザの世界、「裃」対「入れ墨」だから面白い。どおちらか一方だけだったら面白くありません。いまだにTV放送されているのは面白いからです。

ここで、もう一度芥川に戻りますが、人間の心というのは良心・修身のかたまりみたいなものではなく、本質は俗っぽく罪深いからこそ俗または罪深いものに興味を引かれるんです。人間は罪深いから道徳がある。では皆さんが売れるデザインをやりたいと思ったらどうすれば良いでしょう。すでに答えは出ていますね。俗っぽいデザインをやれば売れるに決まっているでしょう。しかし、日本中ラブホテルばかり出来たらどうしますか。例えば公共建築だったら遊び性みたいなものが三十パーセントぐらいあって、裃的なきちっとした部分が七十パーセントぐらいあること。喫茶店やレストランは逆の配分にすればうまくバランスがとれる。用途によって俗性ということが大変大事になってくるわけですね。

「俗」の中にこそ面白いものがあるのですから、難しい本を読んで哲学者みたいな顔をしていたら、ろくなことがないと思います。建築家は力を抜いてもう少し気楽に—それこそ私などは、「ジュリアナ東京に行きたいけれど入れてくれるやろか」なんて心配をしたりして—でも、建築家は勇気を持って俗の中に浸らなければいけないと思います。蕪村は常に俗っぽいテーマを選びながら絵を描いたり、俳句をつくったりしました。これが日本の伝統の美学なんですね。現代建築をつくるときに、「伝統なんかもうつまらん!」と思ったそのとき、「いらなくなった思想だと思っているものがなんだってこんなに面白く、美しいんだろう」という言い方に変えてもいいかも知れませんね。

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