アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次は、今井兼次(1895〜1987年)さん設計の「大多喜町役場(1959年)」に対して、耐震改修と増築を行い、全体として新しい役場にした「大多喜町役場(2012年)」の計画です。大多喜の街は、千葉県の房総半島の南東部に位置し、この町役場は大多喜城跡にほど近いところに位置しています。早稲田大学の教授でもあった今井さんによって設計されたこの「大多喜町役場」が竣工から50年以上経ち、どのように改修し次の時代に繋げていくかが、2009年に開催された公募型プロポーザルコンペにより求められました。
大多喜町は、僕自身が時々訪れていた馴染みのある街であったということもあり、また、何よりも、古いコンクリートの建物を残してちゃんと使おうという決断を街の方々がされたということに感銘を受け、ぜひこのプロポーザルコンペに参加したいと考えました。僕たちは、「大多喜のこれからの50年のために」というタイトルで、ひとつには今井さん設計の古い建物と新しい建物との間にどんな関係を築くかということ、もうひとつは、大多喜町には江戸時代からの町家が残る古い街並みがありますが、その街とこの町役場がどのような関係を築くかということを主要なテーマとして掲げました。
既存の町役場は、決してよい状態とは言えませんでしたが、構造体などは比較的健全に維持されていました。建物自体は鉄筋コンクリート造で、12メートルスパンの門型フレームが4メートルピッチで並ぶたいへん単純な構成です。しかし一方で、今井さんはスペインの建築家であるアントニオ・ガウディ(1852〜1926年)から多大なる影響を受けていて、この既存の町役場にも非常に手仕事的な側面が随所に見られました。たとえば、床の仕上げに使用されているテラゾーや石積み、屋上のペントハウス、あるいは扉の取手など、どこを見てもちょっとしたユーモアや見事な造形に溢れた部位がたくさんあります。構造の合理性と、手仕事のよさを併せ持った建築を、どのように引き継いでいくかということが僕にとって非常に大きなテーマとなりました。
まず増築棟については、大きな屋根の下に人が集まるような場をつくろうと考えました。僕は普段あまり役所にお世話になることがなく、たまに書類が必要な時に手続きに行ってすぐに終わるようなことがほとんどなのですが、大多喜町のような小さな街にとって、町役場というものはちょっとした相談などでも町の人たちが集まってくる重要な存在です。そこで、桜の木の下で人が集まってお花見をするような、自然環境を映し出す大きな屋根があるとよいのではないかと考えました。
そこでまず、大多喜町の町章の形態を模して大屋根に五角形のトップライトを設け、そこから光が落ちてくるようなことを考えました。構造設計には、早稲田大学の先生をやられている新谷眞人さんに入っていただいたのですが、「五角形は幾何学として繋がらないから難しいよ」と早々に却下されてしまいました。なんとか無理やり繋げたら、今度は不思議な有機的なかたちになってしまう。すると「有機的な形態は、つくるのに費用がかかってしまうから難しいでしょう」と取り合ってくれない。ならば有機的なかたちは使わず、直線の梁をたくさん重ねて、ぼんやりと大多喜町の町章が浮かび上がるようなことはどうだろうと提案しました。すると新谷さんは「こんなに無駄な梁はたくさんいらない」と(笑)。こんな試行錯誤を延々と繰り返していたのですが、このたくさんの検討は決して無駄ではなく、この時たまたま直線の梁をいくつも架けて屋根を構成してみたことで、最初にイメージしていた木漏れ日が落ちてくるような屋根が、意外にもこの単純なかたちでつくることができるのではないかと気付き、そこから最終案へと一気に収束していったのです。
元もとの今井さん設計の既存棟は、単純なフレームが連なってできていて、一方こちらの新しい増築棟では、単純なフレームを使うことは共通しながらも、それをX軸Y軸の両方向へ広がるように重ねて構成しました。そうすると、既存棟のリニアな空間に対して、増築棟は広がりを持った空間となり、お互いに補完しあう関係を築ける。また、古い町家には、きれいな小屋組や格子梁がありますが、そういうものにも通じる構成になり得るのではないかということにも気付き、建物の対角線状に鉄骨の大梁の上に小梁が載り、さらにその上にトップライトが重なる、天井懐が非常に深い大きな屋根という案にたどり着いたのです。
役場の機能をすべて増築棟へ引っ越しした後、既存棟の改修が始まりました。実は、僕たちは最初の頃、既存建物に新しく壁を挿入したりして、新しいものと古いものを対比的に扱おうと考えていたのですが、ちょうど増築棟への引っ越しが終わり、何もないがらんどうの空間を見て、本当に清々しい空間であったことに感銘を受けました。そこで既存の姿を可能な限り尊重するのがいちばんよいだろうと方針転換をしました。そこからは今井さんと対話をするようにして計画をしていきました。たいへん地味な作業ではあるのですが、僕たちにとっては数々の発見に満ちたおもしろいプロセスでした。
今ではつくることのできない天井の造形や美しい化粧梁などは、可能な限り残しながら補修を行いました。スギ板型枠のコンクリートは、その風合いを残すため、マスキングを何回かに分けて行いながら補修をしました。既存を尊重することが基本方針ですが、バリアフリーのためにスロープを追加したり、バックヤードを今の使い方に合うように整えたり、どうしても撤去しなければいけない貴重な材料は、ベンチなどへ再利用したり、使われずに保管されていた取手などもうまく組み合わせたりして、今井さんのデザインをもう一度僕たちの視点で再編集するように改修を行いました。ですので、どこからが僕たちがやったことで、どこからが今井さんがやったことなのか、境界が曖昧になっています。時間は本来連続して流れているので、どこかで無理に断絶を演出する必要はないだろうという思いもありました。
開口部は元もとスチールサッシが用いられていたのですが、相当傷んでいて、設計段階ではこれも全部つくり直すことにしていました。しかし、この既存サッシの繊細で美しいプロポーションを再現することはほとんど不可能だということが現場の施工図の段階で判明し、改めて詳細に調査した上で、傷んでいる部分だけを補修し再利用するという判断をしました。このように古いものを再利用する場合、なかなか今求められる性能に応えられないことも多いです。しかし、大多喜町の方々に補修して使いたい旨をお伝えしたら、「いいですよ、今までもこれでやってきましたから大丈夫です。少し動きがよくなればそれで10分です」とおっしゃってくださった。おおらかで寛大な町役場の方々がいらしたからこそ実現できたことです。
また、バルコニーの美しい既存の手すりもかなり傷んでいて、かつ高さが600ミリメートルしかなかったので、設計段階ではスチールで今の法規に合致するよう1,100ミリメートルの高さでつくり変えることを考えていました。しかし、やはりここに新たな水平要素が加わるのは、今井さんに申し訳ないと思うようになり、これも恐る恐る大多喜町役場の方々に、「現行法規に合ってないのですが、このまま残してもよいでしょうか」とお尋ねしたところ、意外とあっさりOKをいただくことができました。もちろん、このバルコニーには不特定多数の人が出ないようにお願いをし、プレキャストコンクリートで当時の手すりを復元しました。
一部には、あまりよくない増築がされていた箇所もありました。たとえばアルミ製の風除室は既存の小庇を台無しにしていました。時間経過の中で施された改修などは、その建築の歴史のようなものですから更新の履歴は基本的には大切にしようとしてきましたが、こういったあまり好ましくない改修は、新たにやり直し、小庇の水平線を大事にしたかたちで風除室をつくり直しました。 歴史をいかに受け止め、次の時代に繋げていくか、その新旧の関係性は、まるで物語を紡ぐようなことだと考えさせられた仕事でした。