アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
僕は幼い頃、虫採りが大好きな昆虫少年でした。虫採りに行く時は、自分が草むらや花の間に入っていくような、虫の気持ちになって環境を見ていました。今思えば、これが自分にとっていちばん原型的な建築模型体験だったと思います。虫の体は人間よりすごく小さく、この小さい虫になった気持ちで野原を見ている時は、自分も50分の1ぐらいに縮んで、建築模型の中を見ている時と似ています。そんな幼い頃の経験もあって、もし自然環境がその質を保ったまま建築になったら面白そうだ、虫たちがいる自然環境に近い建築をつくりたい、と思い建築を志しました。
卵と昆布、岩の絡まり
最近、そういった考えを「からまりしろ」という言葉で表現しています。「からまりしろ」は、「絡まる」と、「しろ」つまり「余地」からなる造語です。何かが何かに絡まる時、例えば、魚の卵が昆布に絡まる、あるいはその昆布が海底の凸凹とした岩に絡まる時、岩は昆布にとっての「からまりしろ」に、昆布は卵にとっての「からまりしろ」になっていて、重層構造になっていると考えることができます。卵も昆布も海底の岩も、それぞれ別のところから来ているものたちが絡まり合いひとつの秩序をつくり出している、これが自然界なのではないかと思い始めました。そう考えると、人間がつくる人工物も自然の中にあるものも、ある意味で等価に見えてくるのではないでしょうか。建築は、人工物の最たるものだと思われていますが、本当にそうなのか、人工物をもう少し別の視点から見ると何か新しい価値が生まれるのではないか、ということを期待しています。例えば、屋根が集積した風景と自然の山脈の航空写真を比較してみると、よく似ていることに気が付きます。屋根は雨水を流すためにつくられた形であり、自然の地形は水が流れることによって削られてできる形です。つまり、そのふたつの形の背後には、水が流れるという共通の原理があるから似ているのです。もし仮に、屋根の集積と山脈の違いを知らないような、人間とは違う知的な存在が宇宙から地表面を見たとしたら、きっと両方同じものに見えると思います。また、人間が農業をしたり、都市をつくったりという活動も、空から見ると、微生物が地表物を発酵させているように見えるでしょう。人間は、自分たちが設計して建築ができていると思っているかもしれませんが、一度人間がつくっているということから離れて「からまりしろ」として建築を捉えると、建築を人間やさまざまな生物やものがそこに絡まる余地をつくっていく、運動体のような存在だと考えることができるのではないでしょうか。そうすると、自然の中で魚の卵と昆布と海底の岩が持っているような、自然や生き物が有する秩序と建築がもっと近付くことができると思うのです。
屋根が集積した風景
自然の山脈
そういったことを意識してつくった僕のいちばん最初の作品が「桝屋本店(2006年)」という新潟県上越市の農作業器具のショールームです。人や農作業器具のための「からまりしろ」として、5メートルグリッドのコンクリート壁を適宜斜めにカットして構成された、幾重にも奥行があるけど見通せない連続空間をつくりました。斜めの壁のラインが重なる内部を歩くと、遠くのラインはゆっくり、近くのラインは早く動くように見えるので、その重ね合わせは予想もつかない複雑な効果を生み、まさに自然環境のような、人間の動物的な部分に訴えかける空間になっています。
「桝屋本店」南側夜景
「桝屋本店」店舗奥から南側正面を見る。小型の耕運機・除雪機が展示されている