アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
ご紹介にあずかりました六角です。
今日はタイトルを「地・水・火・風・空」と、取りあえずつけてみたのですが、ここ数年は東京武道館の仕事だけをやってきて、やっと完成したところです。自分が一番のめり込んでやってきた東京武道館の仕事を通じて話をさせていただくのが、自分の生のまんまの状態であり、ごく最近考えてやってきたことを率直にお話できると、そんなこともあってタイトルとは関係がないわけではありませんが、東京武道館の建物を主体にいろいろお話を進めていきたいと思っています。
私は北海道で講演するのは今日で二度目なんですが、以前、旭川の先にあります上川町で大雪展望塔をつくったことがあり、ひき続いて北海道の仕事ができるのではないかと思いましたら、それ以来音信が上手くいっていません。北海道と今回の東京武道館というのは建築的には繋がるところがどこにあるか分かりませんが、建築をつくっていくための手立てとしてテーマを探して考えてきたことは、なんらかの意味で共通する部分もあるだろうと思っています。
スライドをお見せする前に、東京武道館についての経緯を少し話しておきますと、三年ほど前に、東京都では設計者選定委員会というのがありまして、それはコンペと少し形が違っていて建築物の審査というより設計者を選定するのを目的とした委員会ができています。当時8人ほどの私と同じようなジェネレーションの人たちが指名され、そこでプロポーザル形式の提案をしました。A4一枚に、審査員からある問いかけが出されて、それに答えていくと。その時の問いかけは三つほどあって、ひとつは当然のことでしょうけれどそういう施設が建つとき、周辺環境に対してどう調和する施設配置を提案していくかという問いがひとつと、地域におけるシンボル性についていったいどう考えるか。それからもうひとつは、これが一番難問だったんですが、文化的な側面として武道というものをどう捉えるのかということ。そういう問いかけが三つあったんです。その答え方として、ひとつは、地域の問題は後ほどスライドで説明していきますが、一番の問題としていわゆる文化的側面の表現という言葉なんですね。そこで私は大上段に構えたいい方をしたわけです。武道っていうのはスポーツではなくてむしろ芸術の仲間だといい切らせてもらったわけです。このことはいろんな伝統文化の問題に絡むことだと思うんです。実は私は何の武道もやってないんですが、単にスポーツという言葉で武道を括ってしまいたくありませんでした。
ただそのときに考えたのは、武道館という施設をつくるときに、スポーツセンターをつくるという意味合いではなくてむしろ武道らしさとか、武道の背景としてつくり得る施設というのは何だろうと。これは必ずしも武道館という建物でなくても良くていろんなケースの建物があると思うんです。そのときにその建物に対してどういうふうにその施設に施設の形態とか形式とかイメージを与えていったら良いのかということと、同じだと思うんですね。私がいいたかったのは、武道はスポーツの中では唯一芸術性があるんだということです。その理由としましては、これは物をつくるための手段というのはかなり偏ったところもあるわけで、その偏ったところの解釈からつくる手立てを見付けたいという自分の希望があったわけですね。むしろ武道っていうのはそういうものが育まれてきた時代っていうのは茶道とか書道とか、それからよく宮本武蔵の話にも出てきますけれども、書をやったり絵画をこなしたと。そういうこととか禅と結び付いたり。他の諸文化と結び付いていって、それが日常の生活の中でも非常に文化的な役割、もしくは教育的な役割、それから精神的な部分の成熟高揚も含めたさまざまな生活実態と文化とが結び付いていたんだと、したがって単に武道をいわゆる健康という意味だけでの身体的な訓練とか、いわゆるスポーツ施設。これはちょっといい方が悪いんですがそいういうふうに考えたくなかったと。で、大変しつこいいい方になりますが、そういう思いを手立てにして芸術的な多分野のものが多様に入り込んでいくような施設をつくってみたかった。ファッション性といいますか、どちらかというとエアロビクスをやるような健康スポーツ的なイメージではなくて、少々泥臭くなるかも知れないけれど他のアートのメンタルな部分と結び付いていくような施設のほうが武道館らしさを表現する手立てになるだろうと考えていました。そのことがそう簡単に受け入れられる話ではなくて、それじゃあ他の体操競技とかいわゆるシンクロナイズドスイミングに芸術性がないのかって、みんな芸術点がつくわけですね、それは芸術じゃないんだといいたいわけではなくて、自分が武道館をつくっていく目的のためにあえて偏った意見と切口を提案していったと。それが受け入れられたのではないかと思っています。そういういきさつからこの武道館の計画を始める手掛りを得たわけです。