アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
誤解があるといけませんので少し補足させていただきますと、私は今回の武道館で、先ほども話しましたように何か、これからいろいろ人間の中に残されていっている記憶というか、遺伝子的なものを吸収していくような働きが建築表現にとれないのかと考えました。どういうことかというと、たとえば建物の中に記念的なものとか、どこかで発掘したら出土した歴史遺産みたいなものが仮にあって、それには吸引装置みたいなものが最初から内臓されている。そういうものが施設の中心にあって、それを覆い被せるような建築物ができてくる。伝統文化を継承的にとらえると、そんな考えもおきてきてしまう。武道の殿堂だと仮に呼ばれていくことがあったとしても、そこには殿堂として成り立つ明確なものが何かあるかといったら、今はそんなものは何もない。むしろそういうことではなくて建築家が何かつくる行為みたいなもの、アクションの基盤になるような武道はスポーツじゃなくてむしろ芸術に近いものでありたいと考えたことからはじまり、武道の器に相応しい形態が、たとえば雲海山人の幻影みたいなものでつくりましたとか、さまざまな意味を含めて武道に対する思いみたいなものを建築の表現にかけてみたわけです。本当は何もないかも知れないけれどもいずれ吸引力をもってひとつの磁性みたいなものを派生させてくれたらいい。上手くいけば建築というのはそういう力をもち得る可能性を秘めていると、思いこんだのだと思います。