アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
私はアーチストとの共同が上手くいってるかどうか、自分では自信がないですね。アーチストというのは、普通は作品を撮られるときに街を背景に撮る方は少ないですね。たいてい野山とか空とか、要するにバックがあまり自分の作品と競合しない、影響しないようなところで、できるだけ距離をおいたところで表現したい。でも建築物の中に取り付けると、さまざまに障害物と関係してくるわけです。それで置物的にして自分のエリアを確保しょうとする。建築物とダイレクトにドッキングするというのでは作家も背景や環境状況に不安があり、納得し得ない部分が多いだろうと思うんですね。私は今回は四人の人にお願いしたわけですが、私の仕事の主たることは四人の作家それぞれに一等地を与えたということです。誰かの条件がよくて、誰かが悪くなるということがないようにして、四人それぞれがなるほど自分は一等地を与えられたと納得してもらえるよう工夫したことです。後は思い切りつくってもらうことと、また逆にじくじくと私の思いを話しながら繰り返し納得するまで話し合う機会を増やし、意気投合する機会をつくる。そういうことでしょうね。すべてが一致する必要もなくて、互いに距離を置きつつも認識していく、なかなか論理性や創造性で合致することは難しいですよ。
今度の場合、菱形の基準を2400ミリにして、それがひとつのグリッドを構成しています。そこからずっと直線的に垂直にあるいは平面的に落とし分割して下半身を抑えていくための軸割りにもなっています。上に菱形があって下に四角があってもピッチは同じなので、平面上は問題ないのですが、立面、断面は菱形の立幅が基準になっているので誤差を生じさせないよう抑えるのは手間がかかります。
近似値っていうことはないでしょうね。菱形には垂直方向と水平方向に、実は見えない線が入っているわけで、それと四角に変化していくところはどこかで点があっているので、そんなに誤差はないんですよね。単位で寸法を追うと狂いやすいので、大きな寸法をしっかり抑え、その中で小割にするという繰返しです。
それは難しいですよね。磯崎さんの話との比較ということではなくて、私はいわゆる伝統継承していくために形態表現としての伝統様式を使いたくなかったというのが、むしろひとつの様式なのかも知れません。建築様式以前の菱形という単位に伝統因子としての役割をもたせたわけで、それを組んでいくと、さまざまな条件を吸収しながら変化、構築されていった。全体像がありながら、どちらかというとアノニマスな印象を与えられたと思っているわけで、それが様式性をもつのか、風景、風土化するのかということで国家的様式という話とは直接結びつくものかはわかりません。